2007年10月31日水曜日

10/31 日本語にて

曇 →クトナーホラ→

10月最後の日。今日も寒い。
プラハへ向う道中で大渋滞に巻き込まれる。
急いでるわけでもないので、渋滞を楽しみながら進む。
渋滞の時は、人を轢く可能性がグンと減るので、嫌いではない。

最近、といっても東欧に入ってからなのだが、僕の英語らしき言語が殆ど通じなくなって
しまった。東欧以前のEU諸国では結構、解ってくれていたのだが東欧ではさっぱりだ。
(簡単な単語を並べているだけなので、結構つうじました)
こうなったらしょうがないので、主要言語を日本語に切り替える。
これが意外と通じるもので、というかジェスチャーが素晴らしいのか、
だいたい理解してくれる。もはや英語らしき言語とはおさらばだ。
「ごっそさん」とか「あんがとね」とか言うと、相手は大概にっこりしてくれる。
多分何を言ってもにっこりしてくれるんだろうと思うが。

久しぶりに神秘的な夕焼けをみながら北西へ向う。
やっぱり夕焼けは綺麗だなあ。なんてしみじみしながら北西へ向う。
明日はプラハだ。

走行距離100キロ

PA310004

2007年10月30日火曜日

10/30 クロムニェジーシュにて

曇雨

クロムニェジーシュ。
中世の領主様がウロウロ散歩していたと思われる、庭園に到着。
かなり広く、これを独り占めしていたと思うと、胸が張り裂けそうだ。
カルガモや白鳥、変な鳥に変な生き物。あげくマントヒヒまでいるではないか。

適当に散策した後、昼食を摂る。この旅初めての中華料理屋。
安いくせに量が多く、味も濃い。正に中華料理である。とか言いながら満足する。

更に領主様のお屋敷見学でもしようかと考え、チケットを購入しようとしたが、Closeといわれる。OKOKさようなら。二度と来れないよ。

暫くかなり走り、プラハから100キロ以内のところで停泊する。
下道でPエリアを発見できなかった。80キロほど探したが、さっぱりなので恐らく有料であろう高速道路のPエリアで安住する事にする。
ここにはシャワーもあり、快適。久しぶりに寝床のシーツを洗濯する。
バケツの水が物凄い色になっていたので、これはやった甲斐があったなあ。

走行距離230キロ

PA300006 
(不思議の国のアリス的な庭的な)

PA300017
(特にダレも居ない)

PA300022
(正体不明な生き物が多数)

2007年10月29日月曜日

10/29 チェコ入国

もう太陽を忘れた。
昼頃、誰かが何かを言っている声で目が覚める。
ポリセイがなんたらかんたら、寝ぼけているので良くわからないが、
なんとなく警察である事がわかった。そもそもこんな小汚い車に話しかけてくるのは、頭の悪そうな若者か、警察しかいない。
寝癖、パンイチ姿でパスポートを提示した。向こうは何かムニョムニョ言って去っていった。

曇天の中、チェコ方面へ向い走る。
ズルチが幾らか余っているので、昼食で全て使ってしまう。
ケバブ何たらを食べたが、やはりケバブに外れは無い。

更に暫く走ると国境に到着。
スタンプを押して貰い、チェコ入りを果たす。何故か入国のスタンプは無し。もう訳わからん。

チェコ最初の目的地は世界遺産である、「クロムニェジーシュの庭園と城」。こういう名称の世界遺産はわかり易くて良い。あ、クロムニェジージェにある庭園と城を見に行くんだなあ。なんて直感的に理解できる。
世界遺産の名称が全てこの形式である事をユネスコ関係者各位に強く求ム。

スロバキア、ポーランド同様に詳細な地図が無い。
クロムニェジーシェへ向おうとするも、さっぱり解らない。方位を頼りに進むが、目的地の看板は一向に出てこない。というかチェコ語が読めない。
道端で警察がネズミ捕りをしていたので、そこに突っ込む。
目的地への道順を教えて貰う。親切に教えてくれた。
朝は起こしてくれるし、道も教えてくれる。警察は本当に素晴らしい。

何とかして、途中の街ZLINへの道を発見する。
これで明日には辿り着けそうだ。
停泊地はいつもどおりガソリンスタンドのパーキング。

走行距離180キロ

PA290009
(文字の上についているチルダみたいな記号の意味が不明)

PA290018
(もはや何が食べれるのか不明)


PA290019
(大概これが出てくる)

2007年10月28日日曜日

10/28 アウシュビッツ・ビルケナウ

曇 →ブジェジンカ→

今日は「元アウシュビッツ収容所2号 ビルケナウ」へ向う。
昨日の収容所1号から数キロ離れた場所にある。
こちらも看板が出ているので辿り着くのは容易である。

日曜日ということもあり、沢山の見学者がいた。
特に目に付いたのは、イスラエルの国旗を持って歩いていた、ユダヤ人と思われる人々。イスラエル人学生の修学旅行ルートにここが入っているらしい。

収容所内へ続く、鉄道引込み線。並んだバラックや監視塔。
何かの映画で見た通りであった。

一通り見学し、チェコへ向い走り出す。
今日もガソリンスタンドで停泊する。ここでは無料でシャワーが使えた。
無料でシャワーとは珍しい。在り難く洗濯もさせて戴く。

走行距離75キロ

IMGP4067 (収容施設) IMGP4081 (監視塔より)IMGP3995 (監視塔)IMGP4015 IMGP4023 IMGP4025 (収容施設)IMGP4028 IMGP4029 (洗面所)IMGP4036 (トイレ)IMGP4052 (ガス室跡)

2007年10月27日土曜日

10/27 アウシュビッツ1号

雨 →オシフィエンチム

今日はアウシュビッツ収容所のあるオシフィエンチムへ向う。
昨日と変わって、雨である。内陸部の気候ってこんなんなのか。
70キロほど走り、オシフィエンチムへ到着する。街に入ると、アウシュビッツと記載された看板が出ているので、目的地まで簡単に辿り着く事ができた。

アウシュビッツというのは強制収容所のある地域を指すようで、僕らが今日向ったのは「元アウシュビッツ収容所1号」のある「国立オシフィエンチム博物館」 駐車場に車を停め、小雨の降る中博物館へ向う。
博物館といっても当時の建物(1部改修している)の中に展示品があったり、建物そのものが、それだったりする。
これを見た僕の心情を書いてもしょうがないので省く。

2時間ほど見学し、車へ戻る。
停泊地は博物館から数キロ離れたガソリンスタンド。
雨はまだ降り止まない。

走行距離75キロ

IMGP3962 (収容所)IMGP3966 (ガス室)IMGP3976 (死の壁)IMGP3985 (集団絞首台)IMGP3947
(入り口。「B」の文字が逆になっているのは有名な話)

2007年10月26日金曜日

10/26 ポーランド入国

晴  →クラクフ近郊

久方ぶりにお日様に恵まれ、素晴らしい一日の始まり。
昼ごろに起床して、早速駐車料金を徴収された。
昨夜は誰もいなくて気づかなかったが、ここは有料駐車場なのだ。
しぶしぶ少額を支払う。

向うは、ポーランド、アウシュビッツへ。

ス・ポの国境では、結構しっかりと車内を調べられた。
やはりここらへんはシェンゲン条約加盟国ではないのであろう。
といっても問題なくポーランド入り。

PA260001(国境)

東欧の道はどこも変わらない。運転のマナーも東欧シリーズ。
いつもどおりちんたら走り、ばんばん追い抜かされる。

ポーランドの食事は不味いと聞く。
しかし立ち寄ったレストランでの食事は、それほど悪いもんでもなかった。
物価はおもったより安くなく、それなりの値段であった。
東欧の物価が安いのはもう昔の話であろう。

クラクフの街で停泊するつもりだったが、良い停泊地がみつからず、
すこし戻ったガソリンスタンドで停泊する事にする。
シャワーもあり、快適。

走行距離145キロ

 PA260002

2007年10月25日木曜日

10/25 スピシュスキー城にて

曇雨 →ポプラト→ドルニークビーン

辛うじて雨は降っていなかったが、いつ降出してもおかしくない空模様。
急いでスピシュスキー城と思われる城へ向う。
ユネスコの看板があったので、まあスピンシュスキー城である事は間違いあるまい。
入場料が120コルナ。のところが、学生証の提示で60コルナへ。
お得だなあ。なんて思っていたが、よく考えてみると僕らはコルナ通貨を一銭も持っていないんだな。クレジットカードは駄目といわれる。では、ユーロは?
ユーロも駄目よ。おお困った。
近くにいたオッサンに、個人両替をお願いするも駄目。そりゃそうだ、ユーロとの相場をしっている奴がそこらへんを歩いているとは思わない。
ああ困った困った、とうじうじしていると、何処からか現れたオバサンが、
「ユーロ払いでもいいよ」と仰られた。あ、いいんや。
そのオバサンは、受付のオバサンになにやら交渉してくれた。
という事で、なんとか城に入る事が出来た。

城は大きく、美しく。
今まで入った城の中で一番大きかったのではなかろうか。
内部は一部を残して、崩壊してしまっているが1700年代当時の絵を見る分には、かなりの規模と見受けられる。
寒いのでさっさと城を出る。 (それでも1時間は居たんだ)

あとは、ポーランド方面へ走る。
停泊地は川沿いのPエリア。

走行距離187キロ

IMGP3942 (階段)PA250025 (趣味の悪い絵)PA250026 (寒い)PA250002 (全景)IMGP3944 (車)

2007年10月24日水曜日

10/24 貴腐

悲哀の雨
→トカイ→シャートラルヤウーイヘイ→コシツェ(スロヴァキア)

連日、雨に恵まれ大いに迷惑している。
そして今日も雨に恵まれる。

向うはトカイ。貴腐ワインで有名なトカイである。
トカイへ向う途中で昼食を摂る。恐らくハンガリー最後の食事となるだろう。
なんかニンニクの利いた料理を食べたかったが、意思の疎通が不可能で、その願いは叶わなかった。
この店の隣がキャンプ場みたいな感じになっていたので、シャワー浴びる。キャンプ場というか、宿といった感じ。
その部屋の1室にあるシャワーを使わせてもらった。
お湯が鉄錆臭くてたまらん。が、いい湯量、湯温で満足。

暫く走り、トカイへ到着。
適当な店に入り、「トカイアスー・3プットニョス」というワインを購入。
この数字の部分が甘さを表す指標らしい(なるほど世界知図帳より抜粋)
手持ちの金で買えたのが3プットニョスだけだった。本当は5プットニョスが欲しかった。まあ良い。今宵飲もうではないか。

PA240019(トカイ)

いつもどおり、途中で道に迷う。
道行くおっさんに道を尋ねると、「よくぞ俺に聞いてくれた!」と言わんばかりに、親切に教えてくれる。顔を近づけ、意味不明の現地言語で兎に角、激しく教えてくれる。
教えてもらう側にも自然、力が入る。「ふん!ふん!なるほど!フムフム!つまり!向こうの方角なのだね!?フムフム!ありがとう!」

更に暫く走り、スロバキアへ入国。
道路状況とかはハンガリーとさっぱり変わらない。
どこかの食堂で夕食を食べる。ガーリックスープがニンニクを入れすぎたラーメンのスープの味がし、日本をふと思い出す。
インディアンステーキなんかも頼む。名前からは何が出てくるのか想像すら出来ない。
出てきたのはチキンの上にチーズをまぶしたなんか。お味はまあまあ。
物価はそんなに安くない印象を受ける。コーラーも140円前後と高価。
タバコは330円くらいか。

 PA240031(国境)

更に更に走り、世界遺産であるスピシュスキー城を発見する。
多分スピシュスキー城であろう。辺りは既に真っ暗なので、明日近寄ってみることにする。
停泊地はスピシュスキー城と思われる場所の駐車場と思われる場所にて。ライトアップされたスピシュスキー城と思われる城が美しく。

走行距離230キロ

2007年10月23日火曜日

10/23 忙しい一日

悲壮の雨

まだ足りぬ。
走り走りて、
あの世まで。

走行距離112キロ

PA230012

2007年10月22日月曜日

10/22 渡る渡し

曇雨 →ソルノク→ティシャフレッド→

今日はホルトバージュへ向う。
地図に記載されていない街を辿って行かなくてはならない。
案の定、道に迷いまくる。東へ西へ走法では、やはり限界があるのである。
何故かブダペストへ戻ってしまいそうな道に出て、鼻血が出そうになる。
道端にポツンとある何屋か不明な店に入り、ホルトバージュへの道を聞き出すことに。ビールを飲んでいた兄さんが、何かしら教えてくれたが、マジャール語ではさっぱりなにを言っているのかわからない。
壁に地図があったので、現在地とホルトバージュの街の場所を教えてもらう。ホルトバージュまでの街か村か知らないが、地名をメモ帳に残し、それを頼りに向う事に。

 PA220014(これで街まで辿り着けた)

その地名を頼りに進んでいると、川が出現。そして橋は無い。
ありゃー、ロシアでもこんな事あったなあ。しかし、看板通りに行っているのに川とは。
しかし、川岸に桟橋みたいな物がある。
ひょっとすると渡し舟でもあるのか?
近づいてみると、桟橋の上まで車を寄せろ風なジェスチャー。
そうか、今はまだ船が来ていないんだな。暫く待てば船が来て運んでくれるんだな。と期待する。が、船は来なかった。変わりに桟橋自体が向こう岸まで川を渡った。
なんじゃこれ。桟橋かと思っていたが、これ自体がタグボートみたいになってるのね。驚きながらはしゃいでしまう。

 PA220017PA220023

数分で対岸についた。これはいけてる。
そこから更に走り、街を抜けてホルトバージュへ入る。
ホルトバージュの世界遺産は国立公園らしい。どんな見所があるのか解らないが、もう日が沈みかけているので、観光は明日にすることにする。周りを見ても草原だらけ。草原以外に道路しかない。
明日インフォメーションセンターを探して、見所を聞こうではないか。

走行距離233キロ

PA220029 (牛、めっさジャマ)PA220035 (牛歩、身をもって味わう)

2007年10月21日日曜日

10/21 ニンニク万歳

曇天模様 →どっか→どっか

シャワーを浴びる為、キャンプ場巡りをする。
しかし、殆どが休業していた。一部、キャンプ場自体を見つけられなかった。諦めて先に進む。途中、「トラッカー天国」または「ルイーダの酒場」的な店を発見する。看板にはシャワーのマークが。

1人350ftほどでシャワーを使用できた。
シャワー後にこの店で昼食を摂る。周りはマジャール人ばかりだ。
頼んだ料理は「ジプシーステーキ」もう何が出てくるのか推測さえ不可能である。
40分近く待った後に「ジプシーステーキ」が食卓に運ばれた。
なんかの肉に、ポテトが添えてある。何の肉かこれまた不明。

なにかしらの香辛料と、ニンニクがたっぷりまぶしてある。
「おいおい、こんなの食べれるかしらん」と思っていたが、
案の定うまかった。
僕はニンニク馬鹿なので、ニンニクが入った料理は不思議となんでも美味く感じてしまうのだ。
腹は満たされた。周りのおっさんに「チュース」とか言いながら、さよなら告げる。おっさん皆が「チュース」と返答してくれた事に、マジャール人の心意気を見た。

暫く走る。殆どが直線。超ゞロングストレート。一直線に伸びる国道をひた走る。国道沿いのお店を停泊地とする。レストランぽい。

走行距離140キロ

2007年10月20日土曜日

10/20 ブダペストを出る

昨日の続き。
停泊地からブダペスト市内へ戻ってきた僕らは、車を有料駐車場に停め、徒歩で探索する事にした。STATRAVELへ行く前にインターネットカフェへ行って、学生証のコピーを作成する必要がある。うっかり日本に学生証を忘れてしまったのだ。
昨晩のうちに、我PCでチョコチョコっと作成しておいたので、あとはそれを印刷するだけだ。非常に良い出来である。
「東北学院大学」これが僕の母校なのだ。

USBを利用し、インターネットカフェで刷り上げる。
ついでにネットでSTATRAVELの場所を調べるのだが、やはりマジャール語で記載されている為、さっぱりわからなかった。が、その時、我の頭脳が閃いてしまった。
ネットカフェの店員を呼び、ここの住所を探してくれとお願いする。
そして英語でその場所を教えてもらう。更に地図まで印刷して貰う。
これでばっちりだ。

その場所は、今いるところから結構な距離があったので車で向う事にした。しかし、ブダペストの町はなんて一方通行が多いのかしら。
左折も右折も出来ない道のせいで、かなり時間がかかった。
反対車線に入ろうと思うと、まず右折可能な道路まで行って、そこをかなり直進し、んで左折して左折すれば元の道の反対車線なのだが、確実に最後に左折が出来ない。
更に右折して左折して右折して左折して直進して左折すれば、偶然で反対車線に入る事が出来るかもしれないといった具合。
何度同じ道を通ったことか。

まあ紆余曲折があって、ようやくSTATRAVELに到着。
小奇麗なオフィスで、女性の方が対応してくださった。
「スチューデントカードを作ってくださいな」とお願いすると、学生証を出せとの事。抜かりなし。さっとそれを差し出すと、一瞥して軽く笑われた。
すわ、怪しすぎたかな。と思ったが、「YesYesあんたらはスチューデント」と。なんとか信用してもらえた。
10分もかからず、完成。値段は1800ftで1000円強くらい。
昔、バンコクのカオサンで作った、偽スチューデントカードとは出来が違う。流石本物である。

どうにかして、国際学生証を手に入れたのだが、結局パスポートの提示を求められて、生年月日は27歳で記載されてしまった。恐らく学生証を持っていても、26歳未満でないと割引は受けられないところが多いと聞く。まあええだろ。

ここブダペストには温泉が沢山あるらしい。
すこし調べてみたが、今の時間ではどこもやっていなかった。
惜しいが、先へ進むことにする。

走行距離141キロ

PA200001
(何度も通った橋)

IMGP3923
(超有名観光スポット)

2007年10月19日金曜日

10/19 ブダペスト市内にて

晴曇

ブダペストの街でする事が1つある。
実は僕は学生なので、学生証を作成しなくてはいけない。
風の噂では「STA TRAVEL」という旅行代理店が5分位で発行してくれるらしい。

問題はその旅行代理店の場所がさっぱり解らないという事。
ネットで調べてみたが、見つからない。しょうがないのでブダペスト市内で探すしかない。
ただ闇雲に探しても恐らく見つからないので、ブダペストの日本人宿、ヘレナハウスで停泊している日本人を捕まえて、STA TRAVELの場所を聞き出そうという、無謀な作戦を実行することにする。幸いにもヘレナハウスの住所はわかっている。

ブダペストの混雑する市内へ突入し、側道のPエリアへ車を停める。
まずそこ等へんの人にヘレナハウスの住所を見せ、ある程度の場所を教えてもらう。
が、さっぱりわからない。2,3人目の人に聞いてみると、路面電車で行く必要がある、と親切に教えて貰った。
黄色い路面電車で4駅先にあるらしい。
さて、この路面電車の運賃とかはどうなっているのであろうか?
特に車掌とか切符を買うところが見当たらないので、適当に乗って、4駅先で勝手に降りた。無料ではないだろうが、どうしようもない。

PA190005(イエローな路面電車)

駅で更に道を尋ね、なんとかヘレナハウスに辿り着いた。
住所には3Fと記載されており、3階へ行くがそれらしいドアはない。
間違っているのかと思い階段を下るが、ふとロシア時代に「ロシアでは日本の1階が0階に該当する。
だから2Fと記載されていたら3Fにそれはある」という事を思い出した。
やはりヘレナハウスは、日本でいう4階にあたる場所にあった。
残念ながら日本人旅行者は、外出しているようであった。
こうなったら、STAを自力で探そう。発想転換。

ヘレナハウスから少し出たところに、STAに似た名前の旅行代理店があったが、STAではなかった。しかし、コウイチロウがその旅行代理店でSTAの場所を聞きだしたのだ。
同種の店舗に他店の場所を聞くのは勇気がいる。彼はまるでそこがSTAで間違いないという顔で店内に入り、「ここはSTAか?なに?違うのか。そうか、ではSTAは何処だ?」などどほざいていた。
店のおばさんは、変な顔しながらSTAがあると思われる場所を教えてくれた。しかし、残念ながら教えられた方向にSTAは見つからなかった。
一念発起、明日リベンジしよう。

しかしブダペスト市内は走りにくい。
極めて夕方6時くらいの御堂筋並みに混雑している。
しかし、ここは新御堂だとおもえば容易く走れてしまうのだ。
無理な追い越し、無理な割り込み、ありがとうのハザードを織り交ぜながらブダペストを走り抜ける。
停泊地は、どっかの有料駐車場。この旅初の有料駐車場である。

走行距離40キロ

PA190002
(混雑してます、ブダペスト)

PA190015 
(観光名所とおもわれる)

2007年10月18日木曜日

10/18 ブダペスト目前

悲しみの雨 →タタバーニャ→

ハンガリーでは水の確保に事欠かない。
ロシア時代同様、小さな町の道端に井戸水ポンプらしきものがあり、
水がわっさわっさ出てくる。井戸水なのか水道水なのか不明ではあるが、助かる。
これで気温が暖かかったら洗髪なんて洒落込むのではあるが、
くそ寒いので不可能なのであります。

今日はブタペスト観光のはずだったが、生憎の雨模様。
ブタペまでは停泊地からおよそ100キロ以内にあるはず。
早めに停泊して、明日観光することに決める。

昼飯をレストランで食べる。
頼んだメニューは「ハンガリースタイル・ポークなんちゃら・メダリオン」
もはや何が出てくるのか解らないが、食材の一部に豚が使用されているのであろう。
実際出てきたのは、やはり何かわからなかった。しかし、豚は使用されていた。メダリオンが何なのかは解らないが、お味の方は中々いける。

ブタペスト近郊のSA駐車場で停泊する。
シャワーが浴びれた。1人400ft。湯温は中々であったが、湯量が酷く、
ちょろりちょりりとしか出ない。それでもシャワーの恩恵に預かり光栄の至り。

走行距離94キロ

PA180019 
(奥がメダリオンなんたら、手前は何かわからない)

2007年10月17日水曜日

10/17 パンノンハルマ

起床して、国境へ向う。
停泊地から国境までは数キロしか離れていなく、直ぐに到着した。
長蛇のトラックに比べて、こちらはスムーズに完了。
「ハンガリーに入ったよスタンプ」をガシャンと押して貰う。
「オーストリアから出たよスタンプ」を押して貰う所はなかった。
今までなら、出国側の詰所と入国側の詰所があったのだが、今回はなかった。ヨーロッパの制度は本当に謎である。

どうもハンガリーの高速道路は有料らしい。何種類かのパスがあって、1日なら700円程度。
1週間ならいくら、1年ならいくら。といった感じの仕組みらしい。勿論、下道で行くので関係無し。
しかし、上記の値段は安い。
距離では無く日単位での請求というのも宜しい。
日本なら700円でどこまで行けるだろう。
大阪なら松原から池田あたりが限界か。

ドイツで購入した地図も、ハンガリー辺りになると広域図しか記載されていない。街の名前もある程度、大きな街の名前しか記載されていないので困る。
とりあえずブタペスト方面へ向いたいのだが、途中から標識にブタペストの名前が表記され無くなってしまった。地図に記載されている街の標識も無いので、とにかく東へ向う事にする。
途中分岐があったら、より東っぽい道を選んで進む。

昼食時にハンガリーの世界遺産である「パンノンハルマ」に行く事に決める。「パンノンハルマ」が何なのかいつも通りさっぱりわからない。
場所もある程度の精度でしか解らない。もはや辿り着けないであろう。

と思っていたら、何気にユネスコ看板を発見する。英語でパンノンハルマと書かれている。
あの看板を見過ごしていたら、一生辿り着けなかっただろうな。
ロシア時代を思い出させるような路面状況の悪い道であったが、
すこぶるいい天気と牧歌的な雰囲気のハンガリー道は悪くなかった。

IMGP3906(パンノンハルマ?)

パンノンハルマは、ハンガリー北西部の都市ジェール近郊にある町であり、ベネディクト会修道士が建築した修道院がなんとかかんとか。
修道院とその自然環境が世界文化遺産らしい。
とりあえず、何処からでも目立つ修道院らしき建築物に行ってみるが、
門に立っていたおっさんに「Closeです」と告げられ終了。
中には入れなかったが、きっと素晴らしい建築物なんだろうと思い、立ち去る。

 IMGP3910(向こうがCloseなおっさん)

スーパーで晩飯のパンを買い、停泊地は道路の脇。

走行距離177キロ

軽油の値段はそんなに安くない。というか高い。
279フォリント/1リットルで、日本円にして約195円(1フォリント/0.7円換算)石油に関しては、もはやGNPが日本より低いとか全く関係ない。

  IMGP3912
(パンノンハルマなキリスト像)

2007年10月16日火曜日

10/16 ウィン

ウィーン、芸術の町。なにがどう芸術なのか不明ではあるが、昔から芸術の町である。
さすが首都と言うべきか、結構な混雑で運転するのが面倒くさくなる。
それでもロシアより大分走りやすいのです。
車を停める所もないので、走りながら街を見る。
激しい尖塔があったり、男爵様のお屋敷みたいのがあったりで、見所は沢山在るのであろう。
しかし今回はパスする。車を停めれないし、物価の安い(と思われる)ハンガリーへの憧れが、僕らを加速させる。

ウィーンから暫く行けばハンガリー国境である。
2時間ほど掛かり、国境に到着。しかし係りの人に高速から国境へ行くように言われる。
下道では入国できないのであろうか?全く不明。
とりあえず、A4号線へ入る。ガソリンスタンドがあり、シャワーもあったのでハンガリー入国は明日にすることに。

国によって高速道路が無料だったり、有料だったりする。困ったことに料金所というものがなく、なんかステッカーらしき物を購入する。
それで全区間を走行可能らしい。
オーストリアの高速が無料なのかどうか不明なので、高速道路の入国を避けた。が、このA4が一般的な高速道路(有料)ではなく自動車専用道路かもしれない。なんにせよさっぱり解らない。解らない。

国境へ続くA4には、トラックが列を成していた。
ロシアからフィンランドへ入国する時も同様の列が出来ていたので、ハンガリーはシェンゲン条約外の国なのかもしれない。なんにせよ国境!といった感じが出ていて宜しい。
やはり国境はこうでなくてはならない。光あれ。

走行距離165キロ
明日はハンガリー入国。

PA160034 (ウィン)PA160037 (ウィン1丁目東)

2007年10月15日月曜日

10/15 寒いよ

晴 →ヴァッハウ渓谷

今日の世界遺産は、「ヴァッハウ渓谷」。
色々な物が複合して世界遺産となっているみたい。多分。
200キロ近く走って、ヴァッハウ渓谷と思しき地域に到着する。
切り立った岩や、激しい崖っぷち。ではなく、なだらかな川沿い。
古城がそこらへんにポンポンと建っているところが、オーストリア。
その中の一つの城へ向う。既に太陽は山で隠れてしまっている。急がなくては。

城は小さい山の頂上に聳え立っていた。
肺が正しく機能しなくてかなり辛かったが、ゼハゼガ言いながら何とか上りきる。
城は当時の趣を若干残した城跡だった。そこから望むドナウ川は、夕焼けと相成って美しく。

ドイツで見たドナウ川は、西除川クラスのしょぼい川だったが、オーストリアのドナウ川は、大きくて偉大であった。停泊地は、ドナウ川沿いのPエリア。
明日も寒くなりそうだ。

走行距離210キロ

IMGP3903  PA150025 (なんとか城)IMGP3895 (ドナウ川)IMGP3904(嗚呼、ドナウよ)