2008年2月28日木曜日

2/27-2/29 カンチャン、ずっぽし

27日は、雨が降っていたので映画とかみて過ごす。
夕刻になり、雨も止んだので戦争博物館へ行く。

2008-02-27_15-58-54 (左下の扉が、トイレと水シャワー)

2008-02-27_16-14-45 (戦争博物館にて。怖い)

2008-02-27_16-23-55 (博物館から、クワイ川。戦場にかける橋)

28日は、レンタバイクでエレワン滝(エラワン?どっちだっけ)へ。
過去にコウイチロウ、コウさんとバイクで行った事があるので、
行けるのはわかっていた。ただ、しんどい。
4年前レンタカーで行ったときは、とても快適だった。
今回もレンタカーでも借りていこうかなあ、なんて思っていたが、
バーツ高の影響により断念。100ccの4速バイクで出発。

今回で3回目のエレワン遠征。
毎回道がよく解らない。何号線か忘れたが、この町を貫いている国道を まっすぐ行けば、一応到着する。片道60キロ程度だったはず。
しかし、今回は何故か90キロ走って到着した。国道まっすぐは遠回りなのだな。実際、帰りは60キロ程で宿に帰る事が出来た。

道はいつもどおり、非常に快適。
ほぼ4速フルスロットルで進む。2人乗りなので時速90キロが精一杯。
なんやかんやで、滝に到着。

2008-02-28_13-10-21 (前回は、ノーヘルで捕まったので、今回はちゃんとヘルメット着用)

2008-02-28_13-44-31 (ほんとうにかいてき)

エレワン滝。本当に宜し。筆舌に尽くし難い。ので写真で。

2008-02-28_15-13-422008-02-28_15-47-03 2008-02-28_16-48-11 2008-02-28_16-02-07

などなど。
もしタイに行く事があるなら、お勧めです。
 
29日は、なんもしてない。

2008年2月23日土曜日

2/23-2/24 シェムリアップで

翌朝、シェムリアップ行きのバスに乗る。
約10時間後に、無事到着。

バスの停車した場所で、タケオゲストハウスの客引きが居ったので、
タケオに決定する。日本人宿。

翌日にアンコールワットへ向かう。

2008-02-24_14-11-39(背筋が正し)


2008-02-24_15-16-00 (背筋が正しくない)

アンコールワットを1日歩き回るのは、結構疲れる。
そして、1日でおなかいっぱいになる。

2008年2月22日金曜日

2/22 プノンペンにて

プノンペン散策。
まずツールスレンへ向かう。

2008-02-22_13-24-24 (プノンペンで購入した、かゆみ止め。めたくそ効く)

そして、王宮へ行くのだが、見事に閉まっていた。
昼休みだそうな。外からチラ見する。

2008-02-22_13-26-08 (王宮近くのマネキン屋。王宮と比べて遜色が無い)

2008-02-22_14-11-50 (射撃場までの道で発見。節操が無いをよく表現できている)

この日は、昨日の宿を変えて、有名なキャピタルなんたらに。
1部屋5ドル。水シャワー。1階にある、ツーリストオフィスでシェムリアップ行きのバスチケットを購入する。一人4ドルと安価。

夕方に市場で、MP3プレイヤーを購入する。
「ipod」と書かれたipodでは無いMP3プレイヤー。勿論、Ituesで操作出来ない。1Gbyteで、18$。そして見事に壊れていた。
翌日、交換して貰う。

2008年2月20日水曜日

2/20-2/21 更にプノンペンへ

サイゴンでの観光は無し。
カンボジア、プノンペン行きのチケットを購入。
値段は概ね、10ドル前後。
カンボジアに備えて、日本円をドルに両替する。

翌日21日の10時に出発。
サイゴンからプノンペンまで同じバスで行けるの意外だった。
ベトナムとカンボジアは車両の相互乗り入れが可能だったのか。
国境、モックバイで入国手続き。アライバルビザ自体は20ドル。
頼んでも無い手続き代行(入国カード記入とか)が4ドル。
楽でいいけど、4ドルは高い。恐らく断る事も出来ない。

カンボジア入国後、直ぐに昼食。
あまり旨そうな物がなかったので、カップラーメンを。
お湯入れて貰おうとお願いしたら、おでん?みたいなダシ?みたいな汁を入れてくれた。更に、おでん?の大根みたいなのも入れてくれた。
なんて事するんだ、と思ったがとてつもなく旨かった。
大根みたいなのも、大根みたいな味がして美味しかった。

2008-02-21_14-54-41 2008-02-21_17-14-02
(4年ぶりくらいのカンボジア)

プノンペン到着後、バイタクに連れられてホテルへ。

2008年2月17日日曜日

2/17-2/19 とにかくサイゴンへ

翌日、駅でキャンセル待ちの切符があるか聞いてみるが、つれない返事が返ってくる。どこかの旅行会社で、なんとか列車の切符、又はバスチケットを購入できないか探してみるが、その旅行会社がさっぱり見つからない。

どうしようもないのでホイアンへ戻る事にする。
無駄足だったなあ。

なんやかんやで、ホイアン行きのバスに乗る事が出来た。
バス停前のおっさんの話では2000Dくらいで行けるらしかったが、実際は5000D払わされた。外国人料金というやつだろうな。止む無し。

再び訪れたホイアンの郵便局で、もう使用しない(というか一度も使用していない)寝袋とダウンを船便で日本に送る。
2Kgで15ドルくらいだった。これで少し楽になる。

ホイアンでは、前回宿泊したゲストハウスには泊まらず、
それより2ドルほど安いゲストハウスに泊まる事に。
受付の男に、サイゴン行き列車のチケットあるかと聞くと、
有るとの事。有るとこにはあるもんだなーと思った。
値段を聞くと36ドル、列車にしては相当高い値段だったので、他の旅行代理店で値段をきいて回ったのだが、どこも列車のチケットは無いとの事。バスならあるとの事。一応その値段を聞いてみると、どこも35ドル前後。あの男の言った値段と殆ど変わらない。

あの男の話が怪しくなる。
ゲストハウスに戻り、詳しく聞いてみる。列車の料金といっても、2等の寝台ならベッドの上中下で値段が変わるはずである。
それなのに、彼はそのことに触れなかった。
決定的だったのは、ホイアン発だった事。
ホイアンには駅は無い。だから前日に僕らは駅のあるダナンへ戻ったのだ。何度聞いてもホイアン発だという。

突っ込んで聞いていくと、彼の英語が怪しい言葉になってくる。
何を言っているのか分からなくなってくる。

最終的に嘘という事になった。
さよか、はいはいわかった。バスなんやろ、もうそれでええよ。
自分的には満点に近い程、完璧な「不快な顔」が出来た。

部屋に戻ってから、暫くしてフロントの男が部屋にやってきた。
アイムソーリーだそうだ。僕としてもバスであれ、とにかくサイゴンに行けるので、男が謝ろうがなんだろうがどうでもよかった。
そんな事より、ベトナムに入ってからずっと天気が良くないのが憂鬱だった。

翌日の18時にバスに乗り、サイゴンへ。
24時間でサイゴンへ到着。
流石にサイゴンまでくると、暑い。ようやく東南アジアといった感じ。

適当な宿を探す。AC無しで8ドル。
なんというか従業員が仮眠する部屋みたいな部屋で、天井がやたら低く、3回頭を打ち付け、少々頭がより悪くなった。 
下水管が通っているのか、むき出しのパイプからゴボゴボと鳴り響き、ゆったりとした気分になる。

2002-01-01_00-00-00(6)

2008年2月15日金曜日

2/25-2/26 バンコクへ、そしてカンチャナブリーへ

翌朝8:00にバンコク行き(カオサン)のバスに。
ISUZUの、酷いマイクロバスだった。
道は宜しく無く、ビロビシャンからチタへの道を思い出させる。
国境からは、程度の良い普通のバスに乗り換え。

夕刻、カオサン近くに到着。カオサン相変わらず。
ハイシーズンの為、ゲストハウスは満室だらけ。
しかしバーツ高、痛し。

翌日、カンチャナブリへ向かう。
タイに来たときには必ず訪れる場所。思い出深き場所。
トンブリー駅からの出発。1人100バーツ、以前に比べて高くなっているような気がする。4年前の事なので、よく覚えていないが。

2008-02-26_13-13-58(線路に咲く、一輪のおっさん)

2008-02-26_15-26-06
(誰にだって故郷はある)

2~3時間程でカンチャナブリに到着する。
定宿である、ブルースターなんたらハウスへ。
レンタバイクを借り、町をぶらぶらぶらぶら。
以前に比べると、飲食店とかが増えたような気がする。

2008-02-26_17-05-45

2/15-2/16 そしてホイアンへ向かう

15日はホイアンへ。
3時間ほどで着いたと思う。

宿はバスが止まった場所の目の前に決定。
スタッフがフレンドリーで宜しかった。

ホイアンの町をブブラしてみる。暖かくて過ごしやすうい。
ここにきてようやく、暖かさを感じる事が出来た。
この時の喜びは筆舌に尽くし難し。

DSC_0239

ゲストハウスで翌日のメーソンツアーを申し込む。
1人7$。byバス+ボートで。相場より少々高い。

16日はメーソンツアー。
メーソンは世界遺産らしい。ここに来るまで存在すらしらなかった。
非常に貧相なガイドブックによると、「チャンパ王国時代、神に捧げる儀式がここで行われていたらしい」と書かれている。
不勉強は僕は、チャンパ王国が何なのか知らないし、何を神に捧げたのかもさっぱり不明。
僕らは一体何を見に行こうとしているのだろうか。

DSC_0272 (?)

やはりこういった遺跡を見るにあたって、ある程度の前知識がないと行く意味がそんなに無いような気がしてしまう。
勿論、自然に囲まれた遺跡を見て、「ほー」とか「へー」とか思うのだが、そこまで。それ以上の感動も喜びもな有ったり無かったり。

価値が無い訳じゃない。でもそれは、例えば、「俺は死ぬほど真田の一族が好きで、「信長の革新」する時も真田でマゾプレイ出来ればよいよい。幸村、ああ信繁ね」みたいな人間が、甲府とかにある城を見た時の感動とは全く異なるものでして、つまり、僕も遺跡を見に行く機会があった時には、なるべく出来るだけ前知識を入手してから見に行こうと、改めて考えた次第です。

でまあ 、「ほー」とか「へー」とか言いながら、メーソンを見て回る。
歴史的価値や、細かい建築様式(どういった違いがあるのかわからないが)を除けば、アンコールワットとの小さいバージョンかな、とういアホまるだしな感想しか残っていない。

DSC_0075

で帰る時間になる。そういえばボートはどうなったのかな?
と思っていると、帰路の途中でボート申込者が下ろされる。
暫く歩き、川沿いのボートへ。ボートというか、なんというか、
何の特徴も無い、船。完璧に特徴の無い、船。
ものすごくがっかりしてしまう。しかし、ボート。

DSC_0190

その船の中で簡単な食事。ご飯に野菜炒め?みたいな物が出てきた。
旨くも不味くも無く。対面の欧米じいさんの食事だけ、野菜炒めでは無く、パイナップルが添えられていた。気の毒な事にそのじいさんは、パイナップルで米をもそもそと食べていた。日本人的観点から見て、本当に気の毒だったが、実際彼もパイナップルを残して、ナンプラーで米を食べていた。そんな彼の奥さんは、野菜を残していた。
その後、デザートでパイナップルが出てきた。

DSC_0193 (椅子を8段積み、やる気の見えない船長)

ツアーから戻り、サイゴン行きの列車に乗る為、ダナンへ向かう。
が、なんと23日まで満席。テトの影響がまだあるの?
まあ、今日は寝よう。

2008年2月13日水曜日

2/13-2/14 フエへ向かう

フエへ向かおう。
列車かバスが主な移動手段だろう。
旧市街には腐るほどある、旅行会社でフエ行きの値段を聞く。
が、適正価格がさっぱりわからないので、聞いても決断出来ず。

何件か聞いているうちに大体の値段が分かってきた。
どこもそうボッているわけでは無さそう。
寝台バスが20ドルと何と無く良さそうだったので決定する。
列車だと30ドル前後くらい。

18:00発なのでそれまで時間を潰す。
寝台バスは、昔に中国で乗ったそれとは違い、綺麗だった。
なにより、後ろの人の臭い足が頭部付近に接近しないのは、
心底うれしかった。幸いトイレから離れたベッドを確保できたのも
心底うれしかった。

翌日7:30に到着。
地球にのっているゲストハウス、「BINH DUONG Ⅱ HOTEL」の客引きがいたので、それに従う。一部屋12ドル。まあ適当か。
ただ階数が5階と、結構上なので行き来が大変。部屋は清潔で綺麗。
日本語を話す女性おばはんオーナー、好きになれない。

フエも確か世界遺産だったような気がする。
適当に町をぶらつき、王宮へ。小雨が降っており中に入るのがめんどくさくなった。外からちらっと眺めてゲストハウスへ戻る。

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2008年2月12日火曜日

2/11-2/12 ハロン湾

翌日、臭いゲストハウスを抜け出し、「Classic1」へ。
ここ結構高くて、僕らが泊まった部屋が25ドル。
昨日のゲストハウスの毒気にやられていたので即決。

んで予定通り、このホテルで明日のハロン湾ツアーに参加する。
一人22ドルと結構なお値段。日帰りでこの値段は結構高い方かな。
一泊ツアーも考えたのだが明日、明後日の天気は良く無さそう。
日帰りで十分であろうと思った次第。

この日はあても無く過ごす。

翌日8:00集合の為、7時に起床して準備をする。
僕らは駄目な人間なので、前日にしっかり準備をしておくなどどいう崇高な事は出来ないのです。事前になってジタバタして準備をするタイプ。
しかし、この日は危なかった。起床後しばらくして停電に。
パッキングが出来ないではないか。この部屋は窓が無いので、朝7時といえど真っ暗。ジタバタしながら荷物をなんとか詰め込む。

どうにか8:00に間に合う。
そのホテルからピックアップして貰い、ハロン湾へ向かう。
謎の台湾人と謎のシンガポール人と謎の韓国人、謎のイギリス人、
謎のドイツ人、そして謎の僕等で1グループ。

ハノイから約3時間程でハロン湾到着。
ハロン湾の感想は、まあまあ。
船内のあらゆるものは陸地の1.5~2倍程度するので事前に必要なものは購入しておく事。
そして昼食時に買わされそうになる魚介類は、ただのボッタクリ以外の何者でもない。

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(ディーゼルで走る帆船。見る為の帆)

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2008年2月11日月曜日

2/10 ハノイ入り

朝8:00のバスに乗り込む。
ここから3時間弱で、国境まで運ばれる。
どうでもいいけど、ハノイは中国語で「河内」と書く。

中国と越南の間は、高速道かなにかで接続されていのだが、
車両の相互乗り入れは出来ない。車に限らず、列車での入国も
国境で乗り換えが必要になるらしい。

DSC_0058 (桂林ちっくな風景が)

国境でバスを降りた後、キャリーカーみたいなのに乗って、イミグレへ。
入国カード記載して提出。少々待つと名前が呼ばれるのでパスポートを
返して貰う。

DSC_0069  (変な車)DSC_0075(イミグレ)DSC_0086 (噂の手数料2000ドンで約14円。賄賂との話もあるが、今まで賄賂に対して領収書を貰った事なんて一度も無い。正規の手数料だと思うのだが… 更に賄賂にしてはいくらなんでも安すぎる。しかし、この時点でドンは持ち合わせていないので元で支払う事になる。その場合は何故か2元となり約30円に値上がり。)

因みにベトナムは原則ビザが免除されている。
それは空路での入国に限ってで、陸路での入国はビザが必要。
と、物の本には書かれている。

しかし実際は陸路でも入国できた。
係官にも特に何も言われなかった。勿論15日間の期限付き。

という事で無事にベトナム入国完了。
行きと違うバスに乗り、ハノイ市内へ。約2時間ほど。

しかし、ベトナムはバイク人口が多いなあ。
それに混じって自転車もそこそこ。

旧市街へ向かう。
タイのカオサンのノリで大丈夫そう。適当な安宿にチェックイン。
しかしここがハズレ。バスルーム、ものすごく臭い。
下水と直結してんじゃないのだろうか。シャワーは断念せざる得ない。
ネットはWI-FIが利用可能。
※HANOI SPIRIT HOUSE 1部屋6ドル程。

とりあえずハノイでの目的はハロン湾観光。
どこか良さそうなツアー会社は無いかネットで探す。
まあどこも似たり寄ったりで、特にココっていうのは無さそう。
当日の荷物を預けたいので、宿泊ホテルでツアーを頼みたいが、
ここのゲストハウスに荷物を預けるのは抵抗がある。

ネットで調べてみると、「Clasic1」というホテルが良く利用されている。
明日はここに泊まり、そこのホテルのツアーを利用する事にする。
はい決定。

夜飯。僕らはここで結構な痛手を負った。
道端に出ている屋台。というかなんというか。
まあ、そういった類の店です。そういった店では比較的庶民派の安い料理が提供されているものだとおもっとりました。勝手に。
その屋台ではカニやエビといった海鮮類がうっており、その場で焼いたらり煮たりしてくれのです。まあこんなところで売っているくらいだから、そうは高くないだろう。まあカニくらい食べてもいいんじゃないかな。
と思い、カニを2ハイとエビの焼いたやつを頼みました。
旨かったですよ。非常に。
高かったですよ。非常に。
びっくりしました。全部で550,000ドン55万ドン。ドン。
日本円で4000円弱。いや、高いのか安いのか分かりませんが、
ちょっとびっくりしました。一晩の食事代と考えると非常に高価。
屋台レベルでこの額を使ったのは初めてです。
傷心の中、臭い部屋で枕を濡らす。



 PICT0052PICT0051

2008年2月9日土曜日

2/8-2/9  ハノイ模索

昨日泊まったホテルがとても寒かったので、もっと良いホテルを探す。
最初のホテルから10メートル離れたホテルで決定。

ベトナム、ハノイへ行く為の準備をしよう。
ここからベトナムへ入る方法は3つかな。

①飛行機でらっくらく
②バスで国境越え
③国際列車で国境越え

①は論外。
③が良さそうだなあと思ったのだが、料金が意外に高かった。
なんぼかは忘れたが。
②これしかない!

バスチケットは何処に売っているんだろうか。
駅の旅行代理店で聞いてみると、昨日泊まったホテルの横にあるらしい。 行ってみるが、チケットがあるのか無いのか良くわからない。
話にならない。
他の旅行代理店で聞いてみる。すると、駅から少し離れた場所にチケット売り場があるので、 そこに行けば良いのではないか、
みたいな事を言われた。 それに従い、売り場を探しに行く。
運良く発見できた。

PICT0009
(駅前の道を東へ。最初の大きな通りを右へ。すると左手に見える)

そこで見事ハノイ行きのバスチケットをゲット。
ただ、明日の便は無いので明後日の便となってしまった。
一人133元(約2000円)

翌日は、南寧の町をぶらつく。ここらへんは特に見所がないらしい。
DSC_0031 (良く分からないネズミが徘徊)

DSC_0027 (すこし目つきの悪いなにか。頭にアンテナ)

2008年2月7日木曜日

2/6-2/7 春節前日

春節前夜、つまり大晦日。
とく何もせず過ごす。

なにかカウントダウン的なイベントがあるのかと思い、
駅方面へ向かう。あまり人がいない。というかタクシーの運転手しかいない。

どこかメイン会場みたいなのがあるのか。結局それは発見できなかったが、
花火が盛大に大量にあがっていた。
一地方都市だけで、これだけの花火があがっているのだから、
中国全土で、どれだけ多くの花火が夜空に舞っているのであろう。
それを想像すると少々恐ろしくなった。
PLの花火なんて目じゃない。

翌日、飛行機に乗り込む為、エアポートバスに乗り込む。少し遅れた。
おかげで空港に到着したのが9:20分。飛行機出発が9:50分とぎりぎり。
荷物を預ける事が出来ず、すべて機内持ち込み。とても重くとても邪魔だ。
更にバックパックに入っていたハサミをとても没収される。

中国南方航空。あまり良い印象は無いが、まあ落ちないだろな。
飛行機、怖いなあ。ああ。

1時間ほどで南寧に到着。空港から市内へは空港バスが出ている。
一人15元。思ったほど暖かくないのが。残念。

適当にホテルを探してチェックイン。
今日は春節本番日。たまに爆竹の音がする。近くで爆破されるととてもうるさい。
というかびっくりする。もっというと死にそうになる。

DSC_0195
(どんだけの爆竹が消費されたのだろうか)


その夜も花火が狂ったように打ち上げられる。
ああ怖い。震えながら布団に包まる。

DSC_0192 DSC_0196

2008年2月4日月曜日

2/4-2/5 再広州

香港の町をぶらぶら歩き過ごす。
ガイドブックがしょぼいので、香港の観光場所がさっぱり記載されていない。
しかし、香港は物価が高い。ここで暫く滞在するのは破産と同義である。
よって早々に退散する事にする。目的の中国滞在期間リセットは果たした訳であるから。

帰りのバスは100香港ドル。何故か高くなっている。
往路と同じ道を通って中国広州へ。

さて次の目的地は南寧である。
どうせ広州駅に入る事はまかりならんのであろう。最初から諦めて広州東駅でチケットを探す事にする。
とりあえず今日の宿を確保しよう。駅の中に「広州日航ホテル」のフロントがあった。
写真を見る限り良さそうな部屋で、値段も120元と手頃。ここに決める。
駅から少し離れているらしく、車で送ってくれるとの事。有難い。

部屋は写真と違わず、なかなか宜し。
ただ、暖房の利きがいまいちなのと、お湯がぬるいのが非常に残念。

翌日、南寧行きのチケットを入手しに広州東駅へ向かう。
歩くと15分くらい。チケット売り場が大行列。こりゃ無理だ。
駄目もとで旅行代理店に相談するも、やはり無理。というか明日明後日の列車チケットは
手配できないとのこと。バスもメイヨー。いやまったく春節。

最終手段、飛行機を利用する案。
結構高かった。一人600元で9000円強くらいか。
距離にしたらほんと、たいした事ない距離。なにが悲しくてこんなんに乗らないといけないのか。

 

その後、「陳家書院」へ観光。
通称、「陳の家」。感想特になし。

 

DSC_0045 DSC_0051

DSC_0066 DSC_0124

2008年2月3日日曜日

2/3 香港、九龍へ

  次の目的地は香港。
中国にノービザで入ったため、残滞在期間が怪しくなってきたのだ。
通常であれば、余裕で次の国にいけるであろうが、この時期は微妙だという事がわかった。
その為、一時香港に入り滞在期間のリセットを行う事にした。

広州から香港への主なルートは列車かバスであろう。
とりあえず、列車でいってみよう。

まあ、なんとなくそんな気がしたのだが、今日も広州駅に近づけない。
1時間ほど粘ってみたが、道の封鎖が解ける気配がしない。

PICT0043PICT0042

(果てに見えるは、広州駅。歩道橋の下あたりから封鎖されている)

※後で知ったことだが、この日の前日あたりで駅に人が集中しすぎて死人がでたらしい
ひょっとしたらそれが原因かもしれない。わからないけど。

しょうがないので、広州東駅でチケットを手配しよう。
地下鉄へ向かう途中で、中華飯店?という大きなホテルの前に「九龍」と書かれた看板を発見。
恐らく、確実に香港行きのバスであろう。チケット売りのおばはんに値段を確認。
一人80元(約1200円)。まあこんなもんかな。
チケット購入、すぐに発車となった。非常にまともなバス。変わった点といえば、右ハンドルだった事。

2時間ほどで中国と香港の国境(果たして国境というのだろうか)に到着。
出入国の手続きを済ませて再度バスに乗り込む。

知らなかったのだが、香港は日本と同じ左側通行で右ハンドルだった。
まあ確かにイギリスの租借地だった事を考えればあたりまえか。
そして非常に日本車が多かったのが印象深い。交通マナーも決して悪くない。

車でユーラシアを横断したわけだが、この中国だけは無事に運転する自信が無い。
フランスやチェコもマナーが悪く、道も分かり難かったがそれ以上の何かが中国にはある。
しかし、中国人の運転の巧さ?は尊敬する。四方に注意を払い、ぎりぎりすれすれの接触寸前でかわす
技巧派。本気で運転しているといった感じ。日本であの運転をすれば、すぐに接触事故を起こすだろう。
後ろの車がちゃんと前方を見ている、という確信が無い以上、あの割り込みは出来ない。
正に運転の康師博である。

さて、香港に到着したわけではあるが、バスを降りた場所がどこか分からない。
ホテルがどこにあるのか分からない。1香港ドルが何円になるのか分からない。香港がなにか分からない。

とりあえず1万円を香港ドルに両替する。おおよそ人民元と同じくらいか、ちょっと良いくらいか。
地図を見るも、中心部、九龍周辺しか記載されていない。
地下鉄を発見。どうも九龍からちょっと離れた場所にいるらしい。
今いるところが「太子」で「九龍」まで3駅。地下鉄に乗って九龍へ向かう。

有名なチョンキンマンションで宿をとることに。途中で、客引きのおばばに遭遇して、
隣のゲストハウスへ。200香港ドルと安くは無い。チョンキンマンションの大して値段が変わらないので、
そこに決める。値段の割には快適では無い。狭く、お湯も5分くらいしか出ない。
※「合意賓館」54-64NATHAN ROAD, TSIM SHA TSUI, KOWLOON, H.K.
     MIRADOR MANSION, FLAT A11.5/F

DSC_0074 (無線LANは無し)

御休み香港