2008年3月19日水曜日

3/19 終わり

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結論から言うと、無事日本に帰り着きました(書くの無理)

ポンサワンからバスでビンまで行き、ハノイへ向かいました。
ポンサワンからビンまでのバスは、史上最悪でした。
ビンからハノイまでは、南北鉄道で。
ハノイから南寧まで、行きと同じバスで。
南寧から上海までは、悲劇の硬座30時間で。

死にそうになりながら出航1日前に上海到着。
翌日、船に乗り大日本国へ帰りました。

皆さん有難う。ではさようなら。

2008年3月17日月曜日

3/17-3/18 そろそろ帰る

そろそろ帰ろうと思い始めました。

こっからベトナムのハノイに直接戻る事は出来ないみたいです。
一度ビエンチャンに戻るか、国境の町でハノイ行きを見つけるか、あとは飛行機とか。

適当に考えてとりあえずポンサワンという国境近くの町まで行く事にしました。
翌日7:30にピックアップして貰い、8:30発のバスに乗るとの事でしたが、
実際バスが出発したのは、10:00でした。兎に角出発出来てよかったです。

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(お土産としては最悪な部類に入ると思いますが、非常に高価で意味不明)

バスの車内で、僕の前の若い男はなぜかAK-47カラシニコフみたいな銃を背中に抱いており、
なんじゃこいつ?みたいな感じで眺めていたのですが、あんまり見ていて撃たれるのも
とても嫌なので、外をみておりました。山国ということもあり、道はくねくねっと。

すると突然、全席のカラシニコフ男が窓から顔を出し盛大にゲーと。
確かに結構緩急のあるカーブが続いているので、酔っても仕方が無いなと思っていました。
僕は若干気分が悪くなってきてましたし。ゲーを貰うのもあれなんですが、
何故か彼の嘔吐をじっくり見てしまいました。やっぱりAK-47カラシニコフを持った奴のゲーなんて
あんまり見れないし。

嘔吐した後って、口の中になにやら得体の知れないものが残りますよね。
僕も経験あります。んで、嘔吐の後ってツバを吐きますよね。
これがいけなかった。嘔吐した後のツバって粘度が高く、ペーッツって吐いても、
勢い良く飛んでいかない。勢い良く飛ばないから、車速でそのペーッぺのツバが、
ちょうど後ろの席の僕のところまで飛んできました。
飛沫は、僕のズボンをすこし汚しました。とても嫌な気分です。

流石に銃を持った男に、それも大分気分が悪いだろうと思われる男に文句なんて云えませんので、
紙切れで、ズボンを拭きました。彼は出発前にどんだけ飲み食いしたのか知りませんが、
その後3回程嘔吐してました。総計で結構な量です。

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(銃床を折り畳んだ状態ですね。)

流石に悲しくなってきたので、空いている席に移りました。最初からさっさと移っとけばよかったなあ。
なんて事でポンサワンに到着。適当なGHへ。

そして早速近くのツアー会社へ行き、ハノイ行きのチケットがあるか聞きます。
ヴィン行きのバスはあるが、ハノイ行きのバスは無いそうです。たぶん。
ヴィンはハノイからちょっと南に下ったところです。まあそっからならなんとかなるでしょう。
次の便は明後日です。2日に1本しかないのですねえ。

帰国用の船は上海、3/25日で予約しています。間に合うんでしょうか。

2008年3月16日日曜日

3/16 湯沸し

ルアンパバーンに到着したわけですが、うろうろしていただけです。

そんなことより、この街のどこかに市場があるらしいのでそれを探す。
理由は、以前購入して爆発した湯沸しをもう一度、という理由です。
バイタクの兄さんに、市場の場所を聞き、乗っけてって貰います。

綺麗な市場ですが、ラオスらしく賑やかな感じは無く、なんとなく閑散としていました。
1軒の電気屋が開いていたので、湯沸しをさがしますと、ビエンチャンで見かけた湯沸しが
ありました。前回購入したブタマークとは違い、やや高級感のあるステンレス製の湯沸しです。
だいたいの相場を知っていたので、交渉はスムーズに。400円くらいでした。

速攻でホテルに戻り、綺麗に洗い、ミネラルウォーターを注ぎ、電源オンに。
パン!という音と共に、すべての電気が止まりました。確実にブレーカーが落ちたのでしょう。
表に出て、ブレーカーボックスを探します。表ではGHを新築するのか、工事のおっさんが
うろうろしていました。どうやら彼らの使用している電源系統まで一緒に落ちたのでしょう。
まったくいい迷惑です。お互い。
案外判りやすいところにブレーカーボックスがありました。一つだけレバーが下に。
ぱちんと上に上げると、工事現場のほうからウイーンと音が。
何ゆえ僕の部屋のブレーカーと工事現場のブレーカーが同系統なのか不明です。

なんでブレーカー落ちたんだろうかと考えながら、もう一回電源を差し込むと、
次は直ぐにはブレーカーが落ちず、変わりに煙が出てきました。
んで、ブレーカーが落ちました。すると、部屋前のおっさんも、うろうろしだしました。
僕もうろうろしながらブレーカーを上げにいきました。

どうも不良品みたいです。
早速、先ほどの店にもどり良品と交換して貰います。その時に電源コードが焦げている事を理由に
5,000キップ取られました。約50円ですが、納得いきませんが、もうどうでもいいです。

速攻で部屋に戻ります。この時利用したバイタクの方が湯沸しより高くつきました。
先と同じ手順で、電源オン。無事に御湯が沸きました。よかったです。

因みにこの湯沸しは4日後に、重いという理由で廃棄しました。

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(ツアー会社の写真。子供がにくそいです)

2008年3月13日木曜日

3/13-15 駄目人間からルアーンパパパパンから

13日は、人間らしい行動はしていない。

バンビエンに来た日に購入したバンビエンマップをみてみると、
サイクリングコースがあるではないか。まったく興味は無いがこのまま底辺の生活を
するのもなんだし、マウンテンバイクを借りて行ってみることにする。
と思い立ったのが14日の14時くらい。遅い思いつき。

地図をみると最適なサイクリングコースは、ざっと見て30キロほど。
自転車の平均時速がなんぼかは知らないが、人生経験上歩きの3倍ほどか。
歩きが時速4キロくらいだから、1時間に12キロは進める。かもしれない。
ということは、日が暮れるまでに帰ってくることは可能のはず。たぶん。

という事を狂った頭で1時間もかけて計算し、15時くらいに出発。
ターーマックだったのが、最初の4分の1だけで、後はほとんどグラベルだった。
マウンテンバイクってなんで、あんなにサドルが小さくて長いんだろうか。
お尻がもげそうになりながら、なんとか完走する。というか完走しなくては帰れない。

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15日は、名残惜しいがバンビエンから退散する。
世界遺産の町、ルアンパバーンへ。
バンビエンからならバスで7時間と比較的近距離。

ルアンパバーンでは、メコン川近くのゲストハウス。10ドル。
メコン川に近く、部屋も綺麗で満足。

2008年3月11日火曜日

3/11-3/12 バンビエンは

今日はホテルを変えなくてはいけない。
昨日、満室だったホテルで空きを聞くと空いてるとの事。13ドル。
ただ、5階という悪条件。バックパックを背負って5階は地獄だ。

今日はビエンチャンの観光に費やす。
フランスの凱旋門みたいなところに行き、トップまで上る。しんどい。
あと適当にぶらついて今日は終了。

翌日、バンビエンへ向かう。
悪名高きバンビエン。いざゆかん。

9:45発だったが結局1時間送れて出発。どういったチケット発券方法かしらないが、
数人がバスに乗り切れず困っていた。どうするんだろう。
マイクロバスで山道をうねうねする。
14時くらいにホテル前に到着。面倒なので、というかバンビエンの情報が
まったく無いので、このホテルにチェックイン。翌日の宿を探しに行く。
貸し自転車に跨って、バンビエンの町を行く。川沿いに良さそうなゲストハウスを発見。
値段もまあエアコン付きにしては手頃だったので、翌日はここに泊まろう。

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(特になにもないが、いいところ)

しばらく町を探検する。国境でしりあった若い日本人と遭遇する。
聞くと向こうに洞窟があるので行ってみると良いとのこと。
早速いってみるが、閉館?30分前で、非常に係りの人が嫌がっていたので、
明日にくる事にする。結局、翌日も行かなかったのだが。

夜、コーヒーを飲もうと、ビエンチャンで購入した豚形湯沸かし器をセットすると、
閃光が走り、バンッと音が鳴り内部の熱線が爆発した。
ギャーびっくりした。わずか2回目にして壊れるとは。

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2008年3月10日月曜日

3/10 ビエンチャンの湯沸かし器

寝台。バスに比べ本当に楽。
10:00に国境、ノーンカイへ到着。
トゥクトゥクみたいなやつで、国境の友好橋まで行く。

ラオス、1年ほど前にビザが必要なくなったみたい。宜しい。
問題無くイミグレを通過し、バスで友好橋を渡る。そしてラオスへ。

更にこっからビエンチャンへ行かなくてはならないのだが、どうやっていくんだろう。
ミニバスとかの客引きは腐るほど居るけど、値段がクソ高い。500円とか位。
こんなん使わんでも、もう少し経済的な移動手段があるんじゃなかろうか。

という事でそこらへんのおっさんとか銀行の行員とかに聞いてみると、
普通のバスが出てるみたい。乗り場は50mも離れていない所に。
結局一人4,0000キップでいけた。約50円くらい。

ビエンチャン到着。

地球に載っていた、宿へ行くが生憎満室。隣にも宿があったので入ってみる。
一泊18ドルのデラックスルームしか空いていない。更に明日は予約が入っているので
今日のみの宿泊。部屋を見たがなかなか綺麗。中庭が素敵という事で了承した。
というかこんなホテル泊まったこと無い。

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この旅、最高級のホテルだ。値段が、では無い。
本格的に溜まっていた洗濯物を長時間かけて処理する。
晩飯はメコン川沿いの、いかにも高そうなレストラン風の店へ。

もち米らしきもんを食べて満足。もち米うまいなあ。
その後、なんというか日本のドンキホーテみたいな店で買い物。
ビトンの鞄とかアルマーニとか、そういう類の偽物も多数取り揃えており、
比較的、安価でビトンの偽鞄が買える。2000円くらいで。

中国からベトナム、タイ、マレーシア、ラオスと来たが、困ったことに
どのホテルも飲料用のお湯が無い。せっかくマックスウェルハウスの粉末コーヒーが
あるのに飲むことが出来ない。ので、このドンキホーテモドキで湯沸かし器を買うことに。
いろんな種類があるが、兎に角安くて軽い製品を選ばなくてはならない。
その中で、目を引いたのがこれ、

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安い食堂であるようなウォータポットに電熱線をむりやり取り付けた湯沸かし器。
付属品はコード1本のみというシンプル設計。時代を先取りしたデザインに財布の紐も緩む。
350円くらいで即購入。そして2回ほど使用して大爆発を起こし、帰らぬ豚に。

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(日本円にして4000円ほどATMからおろすと、あほみたいな量のお札がでてきた。邪魔)

2008年3月8日土曜日

3/8-3/9 バンコク入り

翌日11時にチェックアウトし、ビーチで昼寝する。 快眠。
昨日に入手したバンコク行きのバスチケット。ピックアップは15時。

ここで購入したビーチマットみたいなやつ(ござ?)も不要となり、
どう処分しようかと思っていたら、となりに英国婦人(ババア)が、
バスタオルを下に敷いて座ろうとしていたので、その英国ババアにあげる。
喜んでいた。よかった。

なんやかんやで15時にピックアップして貰う。
バンコクまでVIPバスと聞いていたのだが、結局スーラターニというところまで、
ハイエースで行きそこからVIPバスだった。
で、バンコクに着いたのが9日の午前6:00。

マルコポーロという安宿にチェックイン。
溜まった洗濯物をランドリーにお願いする。自分で出来る量ではなくなっていた。

んで、次の目的地ラオスへ向かう為、国境のノーンカイまでの列車チケットを
探す。すると明日の列車は満席だが、今日ならあるとの事。20:45発。
バンコクで特にする事もないので、今日出発する事にする。
するとランドリーの出来上がりが、翌日という事を思い出す。
駆け足でランドリーから洗濯物を奪取する。

という事でなんとか当日の列車に乗ることが出来た。


宿はその日の内にチェックアウト。まったく忙しない。

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列車は2等寝台。中国と違い、2段ベット。蒸し暑いが快適。

2008年3月6日木曜日

3/6-3/7 リゾート

宿をチェックアウト。
ものの本によると、ここクラビーもなかなかのリゾートっぷり。
土産物屋の絵葉書を見てみると、クラビーも綺麗では無いか。
値段にもよるが、こりゃピーピーくんだりまで行かなくても十分なのでは?

とりあえずアオナンビーチへ向かう。
おお、まあまあ綺麗ですぞ。2008-03-06_14-04-15
とりあえず宿を探そう。が、ちょうどハイシーズン。非常に高い。
一番安いと思われる、イエローサン?という宿でも450B。
まあしょうがない。リゾートだもん。
ピーピーまでの値段をツアー会社に聞いてみるが、なかなか高い。
もう面倒なので、ピーピー諦める。その代わり、ここで1dayツアーを申し込んだ。
4島巡りのツアー。比較的手ごろな値段で昼飯もついてる。
明日は、リゾートだ。

翌日、宿前でピックアップして頂く。
ボートに乗って、島を巡っていく。
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昼飯は、なんかしょうもない弁当みたいなやつ。
なんと!俺の分が無いではないか!みたいな事になり、ツアーのお兄さんが、
そこのレストランで食っておくれ、金は後でうちの会社が支払いますよって。
と言ってくれた。嬉々。気が小さいのであまり高いのは頼めなかったが、変な弁当よりまっし。

3島目でシュノーケリング。不気味なウニが多かったが美しかったです。
脳みそみたいなサンゴ、クマノミとか諸々。クマノミしか知らん。
リゾートって悪くない。

2008年3月5日水曜日

3/5 リターンタイ

さて、タイに戻ろうか。
息子の言ったとおりのバスに乗り込む。
3.2リンギット。すこぶる安い。日本円でなんぼかわからんけど安い。
こんだけ安いということは、まあ良くて国境までだろうか。

バスに揺られる事、30分くらいでよくわからん所に到着。
こっから国境までは、タクシー等で向かう。
マレーシア出国完了。タイ入国完了。

さて、とりあえずハジャイに戻ろうか。
地図をみると、国境から一番近い大きな町はハジャイ。
バスかなんかあるだろうと思い、探す。ミニバスみたいなのを、
コンビニ前で発見する。ハジャイまで一人55B。
2時間ほどでハジャイに到着。

次の目的地は決まっている。ピーピー島だ。
適当なツアー会社でピーピー島まで行けるか尋ねると、明日ならピーピー島までいけるが、今日はクラビーまでしか行けないとの事。数件回ってみたがどこも同じ答え。
ハジャイで一泊するくらいならクラビーで一泊するか。

という事でクラビーまでお願いする。17時くらいの出発だったと思う。
乗り物は15人乗りくらいのハイエース。バック類は全て天井に括り付ける。
車内には既にファランが乗車済み。空いている席はナビシートのみ。
あ、いやだな。いやだな。

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クラビーまで本当に怖かった。なまじ前が見えるから恐怖で寝ることもできず。
本当に速度だしますね。困りますね。

21時くらいにクラビーに到着。
比較的安い宿に泊まる。水シャワーだが、部屋は広く綺麗。
寝る。

2008年3月4日火曜日

3/4 マレーシアへ向けて

特に何が見たいとか、どこに行きたいとかは無い。
なんとなくマレーシアに入りたかっただけ。

コタバルか、バタワースのどちらかに行こうと思っていたが、
どちらも面倒くさくなって、バタワース間にあるアロースターという聞いたことも無い町へ。

早朝6:30に駅へ。列車は30分遅れで出発。
一人332Bとやや高く感じる。特に興味の無い所にいくのだから一層そう感じてしまう。
まあ一部といえど、マレー鉄道だ。価値はあったかもしれない。

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一応、国際列車。 国境の駅で下車して出入国手続き。マレーシア入国。
再び列車に戻り、夢の中へ。
気づくとどこかの駅で停車していた。何気にこの駅の名前を聞くと、
アロースターとの事。寝ぼけながら荷物を背負って颯爽と下車。危なかった。

おー、アロースターかあ。なんもないなあ。
地図も情報もなんもかも無いので困る。とりあえず、駅から離れて栄えている場所へ向かおう。
宿が無いと話にならん。なんとなく栄えている?と思われる場所に到着。
宿は無い。デパートに侵入してネットカフェを探す。んでこの町の情報を検索するもあまり手応え無し。兎に角、バスターミナル周辺には宿があるらしい。わからんけど。

バスターミナルへ向かう。距離がよくわからん。とりあえず歩く。
途中、のどが渇いたので食堂へ。
そこのおばはんにバスターミナルの場所を尋ねると、「息子が知っている」との事。
おばはん息子にTEL。後、息子到着。息子曰く、連れてってやるとの事。
有難い、ぜひ頼む。飲食代を支払おうとすると、受け取らない。なんで?
息子と息子の親父と車に乗り込み、バスターミナルまで送ってもらう。

何も無くバスターミナル到着。

明日はどうするんだと聞かれる。なんも決めてない。
うーん、タイに戻ろうかな。いったい何しに来たのかよくわからんが、明日タイに戻ることにする。
息子は、明日のバスのチケットの取り方と、値段等々を親切に教えてくれました。
宿も数件回ってくれました。何件も連れ回すのは悪いと思い適当な宿で決着。

さよならと言って、息子と別れる。彼の名前はハッフェツ。
よくわからんが非常に親切な息子。ありがとう。

泊まった宿は、この旅で糞最悪な宿。
ダニ、ノミ、謎の虫、水シャワー、電気つかないトイレと完璧なまで最悪。
死にそう。

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2008年3月3日月曜日

3/3 ハジャイで

地獄の列車も6:00にハジャイへ到着。
久しぶりにきつかった。
足元には、へんなババアが新聞を敷いてクソガキと寝てて邪魔。
何故に床で寝るのだ。快適なのは解るけど、邪魔。俺の脚、しんどい。
お尻が痛い。

とにかく、宿を探す。
地球に載っていた、なんたらかんたらゲストハウスに行くが、
8:00にならないと部屋が空かないみたいで、8時に来いとのこと。
まってられっか。という事で他の宿を探す。

中国系のホテルで値段を聞くも、先のGHの2倍で400B。
少々高いので諦めて他を探そうとすると、別の男が300Bの部屋がある言う。なんだ、あるんじゃない。
ホテルに入ろうとすると、そっちじゃないと言われ、ホテルの対面にある駐車場へ向かう。その奥に扉があり201と書かれている。
物置みたいな場所を改造して作られた部屋だ。
意外に程度は普通で、ホットシャワーも備え付けられていた。
疲れてもいたので即決。

即決で昼寝して、町を散策。
なんというか、タイと言うより中国といった風情の町。
ツバメの巣とかフカヒレを食わす店が多い。

ツバメの巣、食った事無いので食ってみる。
どんなものかさっぱり解らないが、なんか有名なんで美味しいんだろう。
一番安い100Bのやつを注文する。
味は、まあよくわからん。というかデザート的なものだったのか。
納得出来ないが、完食。よくわからんかった。

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なんやかんやでダラダラ町を見ていたら、20時くらいになってしまった。
駅のチケット売り場が閉まってしまった。
近くにいたおっさんにマレーシア行きの時刻を聞いたが、あまり何を言っているのか解らなかった。とりあえず翌朝の6:30に列車がありそう。

翌日はちゃんと早起きして、駅へ向かおう。

2008年3月2日日曜日

3/1-3/2 ホアヒンへむかう

今日は、カンチャナブリを離れてホアヒンへ向かう。
朝の7:20分にバンコク行きの列車があるので、それに乗り
ナコーンパトムで乗り換える事にする。

しかしながら、寝坊した事により7:20分の列車に乗る事叶わず。
という事で、次の列車に乗る事に。確か1日2本しか走っていなかったはずなので、これを逃すと翌日になってしまう。
といっても午後14時くらいなので、大丈夫。という事でむにゃむにゃ。
起きたのが12時少し前。列車は大丈夫なのだが、宿のチェックアウトが12時なので、速攻で準備して駅へ向かう。

何らかの事情により、約1時間ほど遅れてカンチャナブリ駅を出発。
(何故か、ナコーンパトムまで100バーツだった)
ナコーンパトム駅には15:00に到着した。ここで一泊する予定だったが、10分後くらいにホアヒン行きの列車がくるみたいなので、それに乗ることにする。一人183バーツ(スタンディング)。

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列車内にはすでに人が沢山。
スタンディングな僕らは、席の確保が出来ず、大きなバックパックを置く場所すら確保できず少々困っていた。
親切な鉄道マンが、既に席に座っていたおっさんをどかして、
僕らを座らしてくれた。ありがたやー。既に座っていたおっさん、スマヌ。

21時にホアヒン到着。
適当に宿を探す。適当に飯を食う。

カンチャナブリ駅から気になっていたのだが、ひょっとしたら、
タイの位ある人が亡くなったのかもしれないなあ。
コンビニでは、酒類の販売を取りやめていた。

翌日はハジャイへ向かう予定。
早めに起床して、列車の時刻を調べなくては。
と思っていたが、寝過ごして11時に起床。
ダッシュで駅へ。ハジャイ行きの列車は毎日運行で17:00発との事。
という事で、今日ハジャイへ向かう。3等指定席で一人226バーツ。

ホアヒンからハジャイまで凡そ700キロくらいかな。
結構遠い。到着は翌朝5:00と記載されている。
この時間に到着するわけないので、恐らく6:00くらい着だろう。
しんどいやろなー、いややなあ。

2008年2月28日木曜日

2/27-2/29 カンチャン、ずっぽし

27日は、雨が降っていたので映画とかみて過ごす。
夕刻になり、雨も止んだので戦争博物館へ行く。

2008-02-27_15-58-54 (左下の扉が、トイレと水シャワー)

2008-02-27_16-14-45 (戦争博物館にて。怖い)

2008-02-27_16-23-55 (博物館から、クワイ川。戦場にかける橋)

28日は、レンタバイクでエレワン滝(エラワン?どっちだっけ)へ。
過去にコウイチロウ、コウさんとバイクで行った事があるので、
行けるのはわかっていた。ただ、しんどい。
4年前レンタカーで行ったときは、とても快適だった。
今回もレンタカーでも借りていこうかなあ、なんて思っていたが、
バーツ高の影響により断念。100ccの4速バイクで出発。

今回で3回目のエレワン遠征。
毎回道がよく解らない。何号線か忘れたが、この町を貫いている国道を まっすぐ行けば、一応到着する。片道60キロ程度だったはず。
しかし、今回は何故か90キロ走って到着した。国道まっすぐは遠回りなのだな。実際、帰りは60キロ程で宿に帰る事が出来た。

道はいつもどおり、非常に快適。
ほぼ4速フルスロットルで進む。2人乗りなので時速90キロが精一杯。
なんやかんやで、滝に到着。

2008-02-28_13-10-21 (前回は、ノーヘルで捕まったので、今回はちゃんとヘルメット着用)

2008-02-28_13-44-31 (ほんとうにかいてき)

エレワン滝。本当に宜し。筆舌に尽くし難い。ので写真で。

2008-02-28_15-13-422008-02-28_15-47-03 2008-02-28_16-48-11 2008-02-28_16-02-07

などなど。
もしタイに行く事があるなら、お勧めです。
 
29日は、なんもしてない。

2008年2月23日土曜日

2/23-2/24 シェムリアップで

翌朝、シェムリアップ行きのバスに乗る。
約10時間後に、無事到着。

バスの停車した場所で、タケオゲストハウスの客引きが居ったので、
タケオに決定する。日本人宿。

翌日にアンコールワットへ向かう。

2008-02-24_14-11-39(背筋が正し)


2008-02-24_15-16-00 (背筋が正しくない)

アンコールワットを1日歩き回るのは、結構疲れる。
そして、1日でおなかいっぱいになる。

2008年2月22日金曜日

2/22 プノンペンにて

プノンペン散策。
まずツールスレンへ向かう。

2008-02-22_13-24-24 (プノンペンで購入した、かゆみ止め。めたくそ効く)

そして、王宮へ行くのだが、見事に閉まっていた。
昼休みだそうな。外からチラ見する。

2008-02-22_13-26-08 (王宮近くのマネキン屋。王宮と比べて遜色が無い)

2008-02-22_14-11-50 (射撃場までの道で発見。節操が無いをよく表現できている)

この日は、昨日の宿を変えて、有名なキャピタルなんたらに。
1部屋5ドル。水シャワー。1階にある、ツーリストオフィスでシェムリアップ行きのバスチケットを購入する。一人4ドルと安価。

夕方に市場で、MP3プレイヤーを購入する。
「ipod」と書かれたipodでは無いMP3プレイヤー。勿論、Ituesで操作出来ない。1Gbyteで、18$。そして見事に壊れていた。
翌日、交換して貰う。

2008年2月20日水曜日

2/20-2/21 更にプノンペンへ

サイゴンでの観光は無し。
カンボジア、プノンペン行きのチケットを購入。
値段は概ね、10ドル前後。
カンボジアに備えて、日本円をドルに両替する。

翌日21日の10時に出発。
サイゴンからプノンペンまで同じバスで行けるの意外だった。
ベトナムとカンボジアは車両の相互乗り入れが可能だったのか。
国境、モックバイで入国手続き。アライバルビザ自体は20ドル。
頼んでも無い手続き代行(入国カード記入とか)が4ドル。
楽でいいけど、4ドルは高い。恐らく断る事も出来ない。

カンボジア入国後、直ぐに昼食。
あまり旨そうな物がなかったので、カップラーメンを。
お湯入れて貰おうとお願いしたら、おでん?みたいなダシ?みたいな汁を入れてくれた。更に、おでん?の大根みたいなのも入れてくれた。
なんて事するんだ、と思ったがとてつもなく旨かった。
大根みたいなのも、大根みたいな味がして美味しかった。

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(4年ぶりくらいのカンボジア)

プノンペン到着後、バイタクに連れられてホテルへ。

2008年2月17日日曜日

2/17-2/19 とにかくサイゴンへ

翌日、駅でキャンセル待ちの切符があるか聞いてみるが、つれない返事が返ってくる。どこかの旅行会社で、なんとか列車の切符、又はバスチケットを購入できないか探してみるが、その旅行会社がさっぱり見つからない。

どうしようもないのでホイアンへ戻る事にする。
無駄足だったなあ。

なんやかんやで、ホイアン行きのバスに乗る事が出来た。
バス停前のおっさんの話では2000Dくらいで行けるらしかったが、実際は5000D払わされた。外国人料金というやつだろうな。止む無し。

再び訪れたホイアンの郵便局で、もう使用しない(というか一度も使用していない)寝袋とダウンを船便で日本に送る。
2Kgで15ドルくらいだった。これで少し楽になる。

ホイアンでは、前回宿泊したゲストハウスには泊まらず、
それより2ドルほど安いゲストハウスに泊まる事に。
受付の男に、サイゴン行き列車のチケットあるかと聞くと、
有るとの事。有るとこにはあるもんだなーと思った。
値段を聞くと36ドル、列車にしては相当高い値段だったので、他の旅行代理店で値段をきいて回ったのだが、どこも列車のチケットは無いとの事。バスならあるとの事。一応その値段を聞いてみると、どこも35ドル前後。あの男の言った値段と殆ど変わらない。

あの男の話が怪しくなる。
ゲストハウスに戻り、詳しく聞いてみる。列車の料金といっても、2等の寝台ならベッドの上中下で値段が変わるはずである。
それなのに、彼はそのことに触れなかった。
決定的だったのは、ホイアン発だった事。
ホイアンには駅は無い。だから前日に僕らは駅のあるダナンへ戻ったのだ。何度聞いてもホイアン発だという。

突っ込んで聞いていくと、彼の英語が怪しい言葉になってくる。
何を言っているのか分からなくなってくる。

最終的に嘘という事になった。
さよか、はいはいわかった。バスなんやろ、もうそれでええよ。
自分的には満点に近い程、完璧な「不快な顔」が出来た。

部屋に戻ってから、暫くしてフロントの男が部屋にやってきた。
アイムソーリーだそうだ。僕としてもバスであれ、とにかくサイゴンに行けるので、男が謝ろうがなんだろうがどうでもよかった。
そんな事より、ベトナムに入ってからずっと天気が良くないのが憂鬱だった。

翌日の18時にバスに乗り、サイゴンへ。
24時間でサイゴンへ到着。
流石にサイゴンまでくると、暑い。ようやく東南アジアといった感じ。

適当な宿を探す。AC無しで8ドル。
なんというか従業員が仮眠する部屋みたいな部屋で、天井がやたら低く、3回頭を打ち付け、少々頭がより悪くなった。 
下水管が通っているのか、むき出しのパイプからゴボゴボと鳴り響き、ゆったりとした気分になる。

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2008年2月15日金曜日

2/25-2/26 バンコクへ、そしてカンチャナブリーへ

翌朝8:00にバンコク行き(カオサン)のバスに。
ISUZUの、酷いマイクロバスだった。
道は宜しく無く、ビロビシャンからチタへの道を思い出させる。
国境からは、程度の良い普通のバスに乗り換え。

夕刻、カオサン近くに到着。カオサン相変わらず。
ハイシーズンの為、ゲストハウスは満室だらけ。
しかしバーツ高、痛し。

翌日、カンチャナブリへ向かう。
タイに来たときには必ず訪れる場所。思い出深き場所。
トンブリー駅からの出発。1人100バーツ、以前に比べて高くなっているような気がする。4年前の事なので、よく覚えていないが。

2008-02-26_13-13-58(線路に咲く、一輪のおっさん)

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(誰にだって故郷はある)

2~3時間程でカンチャナブリに到着する。
定宿である、ブルースターなんたらハウスへ。
レンタバイクを借り、町をぶらぶらぶらぶら。
以前に比べると、飲食店とかが増えたような気がする。

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2/15-2/16 そしてホイアンへ向かう

15日はホイアンへ。
3時間ほどで着いたと思う。

宿はバスが止まった場所の目の前に決定。
スタッフがフレンドリーで宜しかった。

ホイアンの町をブブラしてみる。暖かくて過ごしやすうい。
ここにきてようやく、暖かさを感じる事が出来た。
この時の喜びは筆舌に尽くし難し。

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ゲストハウスで翌日のメーソンツアーを申し込む。
1人7$。byバス+ボートで。相場より少々高い。

16日はメーソンツアー。
メーソンは世界遺産らしい。ここに来るまで存在すらしらなかった。
非常に貧相なガイドブックによると、「チャンパ王国時代、神に捧げる儀式がここで行われていたらしい」と書かれている。
不勉強は僕は、チャンパ王国が何なのか知らないし、何を神に捧げたのかもさっぱり不明。
僕らは一体何を見に行こうとしているのだろうか。

DSC_0272 (?)

やはりこういった遺跡を見るにあたって、ある程度の前知識がないと行く意味がそんなに無いような気がしてしまう。
勿論、自然に囲まれた遺跡を見て、「ほー」とか「へー」とか思うのだが、そこまで。それ以上の感動も喜びもな有ったり無かったり。

価値が無い訳じゃない。でもそれは、例えば、「俺は死ぬほど真田の一族が好きで、「信長の革新」する時も真田でマゾプレイ出来ればよいよい。幸村、ああ信繁ね」みたいな人間が、甲府とかにある城を見た時の感動とは全く異なるものでして、つまり、僕も遺跡を見に行く機会があった時には、なるべく出来るだけ前知識を入手してから見に行こうと、改めて考えた次第です。

でまあ 、「ほー」とか「へー」とか言いながら、メーソンを見て回る。
歴史的価値や、細かい建築様式(どういった違いがあるのかわからないが)を除けば、アンコールワットとの小さいバージョンかな、とういアホまるだしな感想しか残っていない。

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で帰る時間になる。そういえばボートはどうなったのかな?
と思っていると、帰路の途中でボート申込者が下ろされる。
暫く歩き、川沿いのボートへ。ボートというか、なんというか、
何の特徴も無い、船。完璧に特徴の無い、船。
ものすごくがっかりしてしまう。しかし、ボート。

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その船の中で簡単な食事。ご飯に野菜炒め?みたいな物が出てきた。
旨くも不味くも無く。対面の欧米じいさんの食事だけ、野菜炒めでは無く、パイナップルが添えられていた。気の毒な事にそのじいさんは、パイナップルで米をもそもそと食べていた。日本人的観点から見て、本当に気の毒だったが、実際彼もパイナップルを残して、ナンプラーで米を食べていた。そんな彼の奥さんは、野菜を残していた。
その後、デザートでパイナップルが出てきた。

DSC_0193 (椅子を8段積み、やる気の見えない船長)

ツアーから戻り、サイゴン行きの列車に乗る為、ダナンへ向かう。
が、なんと23日まで満席。テトの影響がまだあるの?
まあ、今日は寝よう。

2008年2月13日水曜日

2/13-2/14 フエへ向かう

フエへ向かおう。
列車かバスが主な移動手段だろう。
旧市街には腐るほどある、旅行会社でフエ行きの値段を聞く。
が、適正価格がさっぱりわからないので、聞いても決断出来ず。

何件か聞いているうちに大体の値段が分かってきた。
どこもそうボッているわけでは無さそう。
寝台バスが20ドルと何と無く良さそうだったので決定する。
列車だと30ドル前後くらい。

18:00発なのでそれまで時間を潰す。
寝台バスは、昔に中国で乗ったそれとは違い、綺麗だった。
なにより、後ろの人の臭い足が頭部付近に接近しないのは、
心底うれしかった。幸いトイレから離れたベッドを確保できたのも
心底うれしかった。

翌日7:30に到着。
地球にのっているゲストハウス、「BINH DUONG Ⅱ HOTEL」の客引きがいたので、それに従う。一部屋12ドル。まあ適当か。
ただ階数が5階と、結構上なので行き来が大変。部屋は清潔で綺麗。
日本語を話す女性おばはんオーナー、好きになれない。

フエも確か世界遺産だったような気がする。
適当に町をぶらつき、王宮へ。小雨が降っており中に入るのがめんどくさくなった。外からちらっと眺めてゲストハウスへ戻る。

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2008年2月12日火曜日

2/11-2/12 ハロン湾

翌日、臭いゲストハウスを抜け出し、「Classic1」へ。
ここ結構高くて、僕らが泊まった部屋が25ドル。
昨日のゲストハウスの毒気にやられていたので即決。

んで予定通り、このホテルで明日のハロン湾ツアーに参加する。
一人22ドルと結構なお値段。日帰りでこの値段は結構高い方かな。
一泊ツアーも考えたのだが明日、明後日の天気は良く無さそう。
日帰りで十分であろうと思った次第。

この日はあても無く過ごす。

翌日8:00集合の為、7時に起床して準備をする。
僕らは駄目な人間なので、前日にしっかり準備をしておくなどどいう崇高な事は出来ないのです。事前になってジタバタして準備をするタイプ。
しかし、この日は危なかった。起床後しばらくして停電に。
パッキングが出来ないではないか。この部屋は窓が無いので、朝7時といえど真っ暗。ジタバタしながら荷物をなんとか詰め込む。

どうにか8:00に間に合う。
そのホテルからピックアップして貰い、ハロン湾へ向かう。
謎の台湾人と謎のシンガポール人と謎の韓国人、謎のイギリス人、
謎のドイツ人、そして謎の僕等で1グループ。

ハノイから約3時間程でハロン湾到着。
ハロン湾の感想は、まあまあ。
船内のあらゆるものは陸地の1.5~2倍程度するので事前に必要なものは購入しておく事。
そして昼食時に買わされそうになる魚介類は、ただのボッタクリ以外の何者でもない。

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(ディーゼルで走る帆船。見る為の帆)

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