2007年7月31日火曜日

7/31 アスファルト

晴 ?→チタ

地図画像


10時くらいに出発。
アスファルトの道がたまにでてくるようになる。
やはり走り易い。が、すぐにダートになる。
ダートも、波状になった道は非常に走りにくく、時速15キロ程度が限度。
程度がよければ、ダートでも60キロは出すことが出来る。

チタ手前100キロほどで、完全なアスファルトになる。走りやすし。
アスファルトに対してこんなに親愛の情と、歓喜の気持ちが出たのは生まれて初めて。
好きです、アスファルト。

走っている風景は長野県に似ている。
久々の検問もあり、プレゼントをせがまれる。コウイチロウのショートホープ1つを
プレゼント。ご満悦の様子が微笑ましい。記念撮影する。

21時くらいにチタに入る。久々の街はやはり怖い(交通の面で)
イルクーツクまでもう少し。

走行距離508キロ

P7310029P7310033

P7310035P7310039

2007年7月30日月曜日

7/30 僥倖

晴 スコヴォロジノ→チタ500キロ手前

最終的にこの日は全てダートだった。
車内が砂まみれで、全てが砂に染まった。
途中、川で洗髪する。この水大丈夫か心配ではあるが、爽快なり。

ダート走行は、大きく3種類ほど分類できた。
60キロで走れるダート、40キロで走れるダート、それ以下。
40キロで走れない様なダートは30キロでも走行は困難。15キロくらいになる。
この3種類のダートが交互にやってくる。

とにかく疲れた1日。砂さえなければ、と、ふと思うこの頃。
宿はチタ500キロ手前のSAみたいなところ。結構な数のトラック、乗用車が
停泊している。砂埃にまみれた、布団を叩き寝床を作る。
そういえば、モンゴルのゴビ砂漠で車をチャーターした時もこんなんだったけな。
夕飯もここで食べる。

そこで話しかけてきた兄ちゃんに、チタまでの距離と道路の様子を聞く。
辛うじて英語が喋れる。
どうも、ダートはチタまでらしいということ。あとはフラットな路面である事。
これには驚いた。僕らはチタから先2000キロがラフロードだと思っていたのだが、
実際はハバロフスクからチタまでの区間がラフロードだったのだ。
つまり、もうすぐでラフロードは終わるのだ。僥倖だ。僥倖だ。

走行距離449キロ。
虫はいない、気温15度。少し寒い。

P7300002※今おもうといとたのし

P7300010※今おもうと、さぞやたいへん

P7310025※ガソスタ、クラシック。というより、見たこと無い。

2007年7月29日日曜日

7/29 蚊よどっかいけ

晴後雨 ?→スコヴォロジノ

地図画像


ダートが多く、走り難い。いつタイヤがパンクし、どこかのネジが外れるのかを
ただ心配しながら走る。神経を使う。

ロシアで良く食べる食事の定番としてボルシチがある。
今まで全てのカフェでこれを頼んできた。店によって味が毎回変わるのが面白い。
今までのところこのボルシチに関しては味に外れは無い。ただぬるいとか冷たいとかある。

途中の川で水を汲む。井戸が無いので、川の水で生活用水を確保。
大丈夫なのか非常に心配なところであるが、まあ仕方ない。
仕方ないのついでに、頭を洗う。蚊が多く、凶暴なので川をウロウロしながら、頭を洗う。
こいつらに咬まれると相当痒くなる。痒さがロシアクラス。

走行距離430キロ
正直、このクラスの道で430キロはしんどい。
そして雨が憎い

P7290070※朝

P7290077※基本的にいけてる

P7290091※頻繁に、こんな道が

P7290108※夜

2007年7月28日土曜日

7/28 リンゴ割れる

晴 時々 曇 ?→?

いつもどおり11時くらいに出発。
ダート半分、アスファルト半分くらい。
途中激しいダートで大きく上下に揺れる。そのショックで秘蔵のリンゴジュースが
割れる。車内がリンゴジュース浸しになる。本当に悲しい。この様子では、チタからのダート2000キロが思いやられる。走破出来るのか?

昼飯をどこかのカフェで食べる。
燃料を補給し、夕飯を食べる。よく覚えていないが、永い一日だったらしい。
宿は、M-58を外れた道端。虫が多く、大変ですな。

走行距離530キロ
涼しくないが暑くも無い。
パンクも今のところ無い。幸いである。

P7280051P7280067P7280053

2007年7月27日金曜日

7/27 井戸と洗髪

曇→豪雨→ヒョウ→曇→晴 ハバロフスク→ヴィロヴィシャン→謎の峠

ハバロフスクの街で井戸水を汲み、頭を洗う。水は非常に冷たく、頭皮に突き刺さる感じ。
(道端で頭を洗うのは、異常ですが以後も井戸がある度に頭を洗っていました。慣れって恐ろしい)

後に大雨となり、ヒョウも一緒に降ってきて足止め食らう。

ハバロフスクから出るのに非常に道に迷う。想像以上に案内の看板が少ない。
というか無い。途中で花嫁さんを見る。すごく辺鄙なところにいたのが印象的。

M-60からM-58へ。チタ方面へ向かう。
ダート道が多く、車へのダメージが心配になる。運転も結構神経つかう。
10メートル間隔で、凸凹の少ない道を選別する。
どこか途中の峠道のパーキングで宿をとる。

走行距離459キロ
涼しく快適

PICT0013

2007年7月26日木曜日

7/26 初ガソスタ



晴後、豪雨 クレモボ?→ホール?

500キロほど走る。
ダートは非常に走りにくい。陥没がひどく、タイヤのパンクに気をつかう。
アスファルトでも場所によっては、急に窪みが出てきたりする。
交通警察官(ガイー)の対応に特に問題は無い。今のところ。

アスファルトで比較的良い道は時速70キロ前後で走行。
ダート路は20キロまで落ち込む。サスペンションのダメージも相当なものだろう。
燃費は満タン計算で約15キロ/㍑ほどで悪くは無い。

ガソリンスタンドの使い方は少々ややこしく、まずレジにて金を払う。
数量を指定して、たとえば満タンの場合1000ルーブルほど払い、給油スタンドへ戻り、ノズルを格納している所のレバーをおろす。
するとメーターが0に戻り、給油できる仕組み。知らなければ解らない。
(このシステムも色んな亜種があり、ややこしい)

寝床は夕食時の食堂横駐車場。

走行距離532キロ


蚊が多い。そして車内は蒸し暑い。
陥没した道に雨が溜まり、走れない。もはや左の車、動けない。













2007年7月25日水曜日

7/25 通関最終日


曇り後晴 ウラジオストック→クレモボ?

朝10時くらいに電話で起こされる。あーもしもし、と日本語まるだしで。
14時くらいに車の引き取りができそうとのこと。
10万円ちかく支払い、車を保税地区より引き取る。
久方振りのボンゴッチ。ナンバープレートは日本のやつのまま。

Mさんに別れを告げ、ウラジオストックの街を走り出す。Mさん達は明日出発するらしい。
右ハンドルの右側通行。生まれてはじめての環境に若干興奮する。
交通マナーは、いいのか悪いのか良くわからない。が、酷い渋滞。「馬鹿めっ馬鹿っ」と2回つぶやいた。信号が少なく、皆さんやりたい放題。
無理やり割り込めば入れてくれるといった感じ。無理やり入らないと一生入れないといった感じ。相手のドライバーと目を合わせ、「オラっ」と念じると、入れてくれる事もある。クラクションを鳴らされる事は無い。
ロータリーが非常にややこしい。というか一度もまともに行きたい道に入れなかった。

速度制限もよくわからない。70キロ規制が終わった後は、いったい何キロ規制かわからない。60前後で走っているが、それが正しいのかどうか不明。
ただ、後続車両がどんどん追い抜いていく。パッシングも数度くらい有り。だが意味不明。
ウラジオを抜けてハバロフスクへ向かう。つまり北へ。北へ。

120キロ地点で工事中のダート路に変わる。
死ぬほど最悪な道で、パンクしないか心配になる。が、とりあえずなんもなし。エッジのきいた石がいっぱい。
1キロほど続いたが、後はアスファルト道が続いた。
道はでこぼこが多い。大きく陥没している部分もあり。

170キロ走ったところで、ドライブイン食堂を発見。
シャシリクとボルシチを食べる(200ルーブル/2人)
よさそうな所だったので、今日はここで勝手に車中泊する事に。

走行距離170キロ

※通関にかかった費用を。(Pはルーブル)
まず保税地区保管料金:4950P=21780円
代行業者へ支払った金:1500P=66000円
通訳(アントンに支払う金):5000P=22000円
自賠責保険(3ヶ月):1802P=7928円
→少なくても英語OKな代行業者へ直接頼めば通訳費用は要らない。時間がかかると保税地区の費用が高くなる。慣れた業者に頼むのが一番良い。その業者を見つけれればの話だが。

2007年7月24日火曜日

7/24 通関2日目


晴れ 暑い

ロシア語をぼけっと聞いていると、「田中さんでんわ」とか、「いわしみずはちまんぐう」
に聞こえるから不思議。

朝から車の通関手続きを始める。8:40にバス停前集合する。
税関へ向かう。近くのエージェントに書類を貰いに行く。
いろいろあったが、都合10万円くらいになる見通し(調べた情報では4万くらいでいけるとかなんとか)
当初の予定金額より、はるかに高い金額。とんでもないが、払うしかないのが外国人の辛い所。
通訳に支払う金額も含めると12万くらいになる。
こういうのは本当に運次第である事を改めて感じた1日である。

通訳の人間だけで通関するのはどうも不可能みたいで、最初から通関業者に頼むのが一番の近道ではないだろうか。どうだろうか。

※写真はウラジオストックのグルジア料理店。小奇麗だが高い。

09/02/05 追記
実は、今までナイナイしていたのだが、この日(?)ウラジオの警官にたかられた。
税関の件もあり、もしこのせいで車を手に入れることができなくなったら、と想像してしまい、
脅しに屈してしまったのだ。パトカーの中で泣く泣く数千円くらいか?を払ったのは苦い思い出。

2007年7月23日月曜日

7/23 通関開始



晴れ 快晴 暑い ウラジオストック

8時に目覚める。
シャワーを浴びる。歯磨いて顔洗って。
ホテルを出る。先日買っておいた、パンを買った店で温めて貰う。店先の外で食べる。

港湾ターミナルへ向かう。銀行はしまっており、禿が困っておる。
数分後、銀行へ禿が向かうが、店員のおばばにびびってしまい、ドルへの両替ができなかった。

先日、Mさんと通訳シェアの話で、10:00にBIS前に集合した。
5分ほど遅れて、アントンが来た。今回通訳をしてくれるロシア人だ。しかし通関に関する知識はあまり無さげ。少し心配になる(この心配は見事に的中する事となる)

男前のロシア人、禿げが激しく嫉妬していた。
書類の申請は禿の宏一郎がする事に。俺は荷物を預かっておく。
そして放置される。が、すぐ戻ってくる。どうも書類が完成出来ていないらしい。
13:00にもう一回来いと言われる。時間があったのでインターネットカフェへ向かう。比較的近くにあった。料金体系はトラフィック制(1Mbyte/2ルーブル)か時間制(1H/38ルーブル)

適当にメールして、12:45頃にターミナルへ戻る。
書類は完成していたらしい。Mさんと宏一郎は通関へ向かう。
2度目の放置プレイが開始されて、僕とMさんの連れと話はじめる。

話の内容は、全て忘れてしまったが、そう大した話ではなかった。

宏一郎が帰ってきた。
結論から言うと、本日中の通関は不可だった。
うだれながら、ホテル(マリヤーク)に戻るのだった。





2007年7月22日日曜日

7/22 上陸

晴れ 春みたいな 25度くらいか

8時くらい目覚める。
外を見ると、陸地が見える。もうロシア。
9時に船上最後の食事。甘いおかゆとか。
10時に接岸したと思う。船荷証券を取得してパスポートを返して貰う。
11時辺りで船外へ。簡単な入国審査を受ける。手荷物検査無し。

ウラジオストック上陸。
シベリア鉄道の終点であり始点である。

地球に乗っていた宿を探しだすが、満室で断られる。
その店の人にいたおばばに同質の宿が無いか尋ねると、親切に案内してくれた。
迷いながら。ありがとう、おばば。

なんとか到着したのが、マリャークという宿。
ツインで1500ルーブル。およそ6000円。
レギストの費用を取られたが、これは例のあのレギストなのかどうか不明。
レギストの事、実は良くわからないのでなんともいえないが、翌日オビールへ向かう事にする。本当によく解らない。

だらりする。気候が非常に良い。想像以上に町は綺麗で、中国の天津をイメージしていたが、全然違った事に。正に想像を絶する。空が抜けるように。
インターネットカフェを探すが2件ほどみつけ2件とも駄目だった。
日本語使用不可、IE使用不可。完璧だ。
この国、タバコが安い120円くらいで買える。他の物、たとえばコーラーとかは100円くらいで日本のスーパーくらいの値段で購入できる。
その他の物価は日本と同じレベル。

宿に戻り、筋トレをする。鈍った体に響くぅ
22:00外はやや暗くなってきた。
寝る。

2007年7月21日土曜日

7/21 船内にて

曇り晴れ 涼しい 思うに20度くらいか

8時に目覚める。
雨は止んでおり、昨日より寒い。
甲板でタバコを吸う。すこぶる旨い気がしてしょうがない。
9時に朝飯を食べる。スープとパンと何か。スープはホットケーキの種の段階を
暖めた味で、そんなに旨くない。
パンは2種類あり、白色と黒色。白は普通のパンなのだが黒色のパンはすこぶる変な味がしてなじめない。旨くない。名前は知らない。わからない。
先日出会った日本人夫婦?と席を同じくする。
この時点で彼らの名前は知らない。

13時に昼飯。
ニンニクをすって、ニンジンを混ぜた、正にニンニクその物なマッシュポテト状の何かをパンにつけて食べる。これは案外旨い。
パンを食べ終わった後にボルシチが出てくる。これはボルシチに間違いない。
隣のロシア人がそう教えてくれたのだから間違いないであろう。
広義の意味で味噌汁に近いなというと、それは違うとそのロシア人に言われる。
昼食も日本人夫婦?と同席。
その時、BL(恐らく船荷証券の事か?)について伺う。
そういえばすっかり忘れていた。1ヶ月ほど前にそんなのが必要である事を何かで見たような見なかったような…
午前中にそれの手続きがあったらしいのだが、アナウンスからはそれを聞き取れるはずも無く。
インフォメーションでこの旨を尋ねる。如何せん「船荷証券」なんてロシア語はおろか英語でさえ解らないので、思いを伝えるのにてこずる。
なんとか伝える事ができたみたいでミュージックホールへ行けと言われる。
ミュージックホールでは担当の人らしき人物が座っており曰く、車検証、登録証書、パスポートのコピーと10$もってこいとの事。
宏一郎がコピーを、俺が10$をそれぞれ用意する。
明日の朝、インフォメーションへ取りにきなさいといわれ一安心。
パスポートも翌日に返却とのこと。

暇なので小説を読んで過ごす。

19時に夕食。
黒色のパンと白色のパンは必ずついてくる。
黒パンはどうもライ麦パンらしい。とても美味しくない。ボルシチは相変わらず旨い。
夕食時に日本人夫婦(ではないらしい。男性はBMWさん(通称:Mさん)で女性は忘れた。)にロシア側通関時の通訳をシェアリングしないかとの申し出があった。
最高でも140$でシェアする事で1組70$くらいか。悪い話では無いと思い、こういっつあんに同意を求めOKとの事。

月曜日の10時に待ち合わせする事にしました。渡りに船。
空が綺麗。

富山出港から24時間。距離は約500Km程。
明日の午後にはウラジオストック入港か。


※船室。左側にもういっこベッドあり。
 ベッドの上に更にベッドがある。
 煙草吸い放題。サイコー

2007年7月20日金曜日

7/20 出国

雨 やや涼しい

前日にパスポートを忘れていることに気づいて、大阪へ戻る。信じられない。

7/20の10:30起床。
思いのほか寝心地が良い為か、寝過ごしてしまう。
9:00起床予定だったのだが。まあ大事には至らず。
支度をし、FKKへ向かう。2人ともFKKが何処にあるか知らないのが問題であったが。
なんとかしてFKKに到着。車の運賃450$を支払い、伏木海陸運送へ向かう。
FAXでやりとりしていた、キクチさんを訪問。
一時輸入申請書に内容を記載する。
13:30に再度集合となった。携帯電話を解約し、古本を適当に買い漁る。
昼飯を買い、伏木海陸運送へ戻り30分待たされる。
ここからの流れとして、まず車を保税地区に駐車し、通関手続きを受ける。
通関手続きといっても車検証、登録証書とパスポートのコピーをとられるだけで、
特にする事なし。
後に乗船し、船室に案内してもらう。カテゴリー4の部屋で4人部屋のはずだが、
コウイチロウと自分だけで占有出来たのはうれしかった。
1時間後に出国審査。これもパスポートを預けるだけで特に何もなし。
更に1時間後、我等の車が船に運ばれた事を確認した。
雨はずっと降り続いている。すこしうら寂しい出港となったが、黒煙を吐きながら、
思ったより早い速度で船は進む。

船内では時折、アナウンスが流れるがどのアナウンスにしても何を言っているのか
さっぱりわからない。「ボナプチ、ベルポロー、ザーフトラ」恐るべし。

日本時間19時、そろそろ夕食かと思い、何時から夕食を食べれるか聞いてみる。
よくわからないが、既に閉まっていた。
ロシア時間の20時から21時までの1時間のみなのだ。時差2時間なのだ。
僕の時計は全開で日本時間の19時だった。悲しい気持ちが船内を包む。
もってきたお菓子を厳かに頂く事にする。空はうっすら暗くなってきている。

聞いていた話では、アナウンスはロシア語と英語と日本語で流れる事もある。
と聞いていたが今のところ、ロシア語のアナウンス以外認識できない。
(本当にロシア語かどうかも不明ではあるが)
ひょっとしたら既に英語アナウンスが流れているのかもしれないが、真相は不明。

2007年7月18日水曜日

Preparation11

Preparationなんていってる場合じゃないのですが。

なんやかんやで20日の船に乗せて頂ける運びとなりました。
19日に大阪を出て、20日の午前中に通関を済ませる予定です。

先日、住民票を抜いて?きました。
役場の人に長期の旅行で転出というのは可能ですかと聞いてみると、okとの事。
申請書に現在の住所と新住所を記載する、つまり唯の転出届けなのです。新住所(転出先)というのが見当つかなかったが、ロシアって書いとけば良いよと言われたので、ロシアと書く。
ここら辺の制度が良くわからない。これをもってして、僕は日本において一体何者になったのだろうか?住所不定の無職男性、27歳になったのだろうか。
少なくても健康保険は使用不可となり、非常に心細い毎日をおくっています。

2007年7月9日月曜日

Preparation10

遅延

一番厄介そうな通関の準備を開始しました。
厄介という先入観故に、伸ばし伸ばししてしまった為に、当初予定していた、12日出発はほぼ不可能になってしまった。

ウラジオストックへ船で渡る場合「FKKエアーサービス株式会社」を利用する以外に方法はなさげ。
電話してみると、人間を運ぶのはここで良いが、車を輸入するなら「伏木海陸運送のロシア事業部」で聞いてくれとの事。どうもグループ会社みたいね。
電話してみると、物凄く横柄な係員(カトー様)が対応してくれた。
本当に失礼な物言いで、「黙れハゲ」と言って電話を切りたかったが調べた限りでは、この業者しか無さそうだったのです。

哀れで無知な一般人を演じて我慢してたが、途中で友達言葉に切り替えた(タメグチね)
最終的に、僕が何をいっているのか良くわからないので、何をしたいか全部FAXでおくってくれといわれる。とても悲しかった。僕はロシアに車を一時輸入したいだけなんだ。

必要と思われる事項を記載し、書類関係をFAXする。
(免許書、登録証書、車検書)
2日後にキクチと言う人から、FAXが送信されてきた。
通関に関する手続きで「一時輸入にするのか、輸出にするのかで値段はかわります」と書かれている。
一時輸入の方が簡単で良いですよと。

→この部分、実は以前から悩んでいたところで、実際にロシアに渡ってポルトガルまで走って(仮にまぐれで走れて)、またロシアに戻ることなんて可能なのだろうか?とても車がもつとは思えないし。でも一時輸入である以上は本国に持って帰ってこないといけないらしい。途中で盗まれたり、大破してしまったらどうするのだろうか?
ここの所がよくわからないので、一生懸命無視する事にした。

輸入扱いする場合は、対象車を抹消登録して下さいとの事。
えーー車検通しちゃったよ。もう一時輸入決定ですな。

まとめると
「RUS」号を利用して、ウラジオストックへ自動車を輸出する場合は、「一時輸出」と「輸出」で制度が分かれている。
何故か、往復するかしないかで関税の額がかわるのは不思議。
片道をRUSでお願いすると費用は→
・積み込み作業料=13,000円(免税)
・通関料=5,900円(非課税)
・書類作成費用=5,000円(課税)
で書類作成のみ5%が課税されるので、
合計は、24,150円 となる。

これを支払えば、日本側の関税はOKのはず。多分。
よくわかんねーや。

後は、人間の乗車賃で360$と車の輸送費450$払えば終了?
で、いつの船にのれるのかね?

※ちなみにアップしている画像は、登録証書です。
あまり見る機会は無いと思いますので見てみて下さい。
いつか役に立つときがきますよ。

2007年7月1日日曜日

Preparation9

ビザ申請

6/29にようやくインビテーションレターが到着した。
6/9にマリアさんとやり取りして、都合20日かかった。
朝の10:00くらいに受け取れたので、うまい事いけば今日中に申請が出来るかもしれない(大使館での受付は12:30まで)
領事館の場所は、豊中の少路駅の近くなんです。
ところがですね、私うっかりしておりまして乗り換え案内で「少路」では無く「小路」で検索していたものですから、電車で行けば間に合うなとおもっとりました。

たまたま、領事館のHPを再確認して誤りに気付いたので大事に至らなかったのですが、もしあのまま「小路」に行っていたら僕らは狂っていたかもしれませんね。
「少路駅」ってどうもモノレールみたいで、凄く乗りたかったのだが、もはや時間的に無理っぽいので車で向う事に。
コウイチロに「小路」では無く「少路」だと電話で伝え、僕は彼がモノレールに乗れる事に少し嫉妬しながら阪神高速を駆け巡った。
11:30位に少路駅でコウイチロを拾い、領事館へ向う。
10分程度で領事館を発見。領事館とかって殆ど敷地前に警察が立っているので発見しやすいパピリオンのひとつです。
その警察官に「ここはロシア領事館かね?駐車場はあるかね?」と尋ねると、「ここはロシア領事館で、駐車場はありません。ですので、そこらへんに路駐しておけばいいのではないかと思うのですが職業柄、そういった事は私の口からは言えませんのでどうぞご自由に」とう旨を告げられた。
お言葉に甘え、パトカーの前に路駐する。

門を潜り右手のドアから中に入ると、日本人と思しき女性2人とロシア人と思われる女性3人居た。担当官は2人だが、どうも僕の相手をする暇はなさそうなので、机の上に置いてある用紙が恐らく、然るべき書類であると思い込み内容を記載していく。テンプレが置いてあるので、それを見ながら記載していく。英語で記載していくのだが、訪問都市を記載する欄があり、インビテーションレターに記載された内容と同一であったほうが良いと考え、インビテーションレターを見たのだが、すべてキリル文字で記載されている。さっぱり読めない。ですので、そのキリル文字をまねて欄に記載する。
後、受け入れ団体を記載する欄があるのだが、果たして誰が僕らを受け入れてくれるのだろうか?良くわからないので、空白のまま。
内容が正しいか確認しようと担当官に聞こうと思ったが、居なくなってた。20分程たった12:30間際に担当官が戻って来たので素早く書類を手渡す。そのまま受理されてしまった。
内容に問題無いか聞きたかったのだが、彼の醸し出す「もうすぐお昼ご飯の時間だから早く帰れ」的な雰囲気に聞きそびれてしまった。まあいいや。引換券を受け取り領事館をでる。
※HPでは7000円+1000円が必要との事が記載されていたが、1週間での受領は無料っぽいです。

因みにビジネスビザ申請に必要な物は「パスポート、写真(4X3)、インビテーションレター(オリジナル)」以上である。印鑑とか要らんよ。

駐禁は切られてませんでした。